「汝の隣人を愛せよ」
岡部 寿男(論文誌担当理事)
私が論文誌担当理事を拝命して間もなく1年半になります。論文誌担当のミッションは、論文誌に投稿され採択される論文のレベルを向上させ、数も増やすことが第一です。そしてそれと表裏一体のこととして、本会の論文誌をできるだけ多くの方に読んでいただけるものにし、そこに掲載されることの価値を高めることです。本会では、そのための具体的なアクションとして、「べからず集」を公開して査読基準の明確化につとめ、またJIPをオープンアクセスにし、インパクトファクターの取得を目指して期間限定で投稿料も免除しています。しかし、論文誌の価値の向上は言うまでもなく学会側の努力だけでどうにかできることではなく、論文を投稿される方、査読を担当される査読委員の方、そして読者の方が、本会の論文誌をいいものにしようという共通意識でコラボして初めて可能になるものと思っています。本会の関係者がそういう意識を持って下さっていることには全く疑いないのですが、論文の採否を最終的に判定しなければならない編集委員の立場からみて、残念ながらその意識がかみ合わっていないと思われるケースが少なからず見受けられます。今回はそれについて、特に若い方に向けて書いてみたいと思います。
大学などアカデミアの世界で人事を行う場合には、候補者の業績として論文の質と数が問われます。競争的資金に応募する際にも、提案の裏付けとしての研究実績は論文になっているものが説得力を持ちます。どんなにすばらしい研究をしていても、論文になっていなければ評価され難いということです。これは研究者個人としてもですが、研究分野についてもあてはまります。いい研究をしてもなかなか論文が通らない研究分野は、若い人がその分野で職について研究資金を得ることが難しくなり、いくら重要な分野であっても、長い目で見れば研究者人口が減っていくでしょう。逆に、新しい研究分野であっても、そこに集う研究者が互いに価値を認めあえば、大きく成長していきます。このことは細分化された分野についても、あるいは情報処理学会全体のような大きな領域についても共通に言えることです。
論文誌の編集委員として論文の査読を依頼する場合、できるだけその論文のテーマに近いかつ最新の研究をされている研究者を探す努力をします。運よくそういう方にお引き受けいただいてほっとしていたところが、いただいた査読報告を見ると、存外に厳しい指摘が並んでいて不採録で判定されていることがあります。それをどのように条件付き採録に持っていくかが編集委員の腕の見せ所ではあるのですが、当該分野の専門家の立場で非常に細かいところまで丁寧に見てくださっていると、編集委員としても直接には反論しにくいところです。しかし一方で、この方なら、その分野の重要性はよく理解されているはずなのに、研究の新規性や有効性についてもう少しポジティブに評価してもよいはずと感じることが珍しくありません。この傾向は、特に学位を取得されて間もない新進気鋭の研究者に多くみられるように思います。論文の新規性・有効性を、ご自身の研究、あるいはご自身が論文を投稿した際に受けた評価と比べられているのではないかと思ってしまうことすらあります。客観的に見ればそうなのかもしれませんが、もしその研究分野を大事に思い、同じ研究分野の研究者を育てて行こうというお気持ちを持っていただければ、もう少しよい評価をいただけるのではと思います。採録と判定されている場合でも、評点や「論文賞への推薦」を付けられるかどうかについて同じことが言えます。
他方、論文を投稿される側の方にも考えていただきたいことがあります。論文を投稿すると、それは近い研究分野の方のところに査読に回ります。関連研究として当該分野で公知の当然引用すべきものがされていないと査読委員はどうしても辛口の判定をしがちになります。あるいは、引用してあっても、投稿論文と比較して否定的なことばかり書いてあると、心証は悪くなりがちです。先行研究に十分な敬意を表しつつ、それを手がかりに自分の研究を位置付けて差分として新規性や有効性を主張するのが、基本です。「孤高の研究者」では、よい研究をしてもなかなか評価してもらえません。どんなに独創的な研究であっても、必ず最も近い関連研究がいくつかあるはずです。編集委員が査読委員を探すときの手がかりとして、引用されている論文の著者を候補にすることが多いことを、もう少し考慮にいれていただきたいと思うことがあります。
このメッセージのタイトルに、新約聖書の言葉である「己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ」を借りました。私はクリスチャンではないのでこじつけをお許しいただきたいですが、これを、自分の論文を大事に思うように関連分野の論文を大事にしなさい、と捉えていただければと思います。あるいは論語の「己の欲せざる所は人に施す勿れ」も同じでしょう。ぜひ「隣人」の論文に「愛」を持って接していただくようお願いいたします。シニアの研究者の方には当たり前のことばかりを書いてしまって恐縮ですが、ご賛同いただけましたら、同趣旨を若い方に伝えていただければ幸いです。