2019年12月02日版:湊 真一(論文誌担当理事)

  • 2019年12月02日版

    「論文誌を取り巻く状況とその存在意義について」

    湊 真一(論文誌担当理事)


     私が理事に着任して約1年半が経過し、任期も残り半年となりました。論文誌担当理事として毎月の編集委員会幹事会に出席し、論文誌の運営について深く知るにつれ、多くの中長期的な課題があることと、それらが複雑に絡み合っていることを認識しました。現在の論文誌を取り巻く状況について、私が個人的に感じていることを述べたいと思います。

     これまでに論文誌の課題とされてきたこととしては、(1)掲載論文数の長期低落傾向、(2)トップ国際会議やアーカイブ論文を優先するような投稿スタイルの変化、(3)英文誌にインパクトファクターが付与されていないという国際的ステータスの問題、(4)論文誌としての収支構造の問題、等が挙げられます。いずれもなかなか根深い問題です。

     本会の掲載論文数は、2011年をピークに投稿数、採録数ともに減少傾向にあります。このような減少傾向は本会に限らず日本国内の関連学会に共通しており、その中では本会はまだいくぶん緩やかな方だと思われます。大きな構造的要因としては、国内人口の減少、インターネットの発達による出版業態の変化、途上国の台頭と国際競争の進展、等がありますが、本会関係者の毎年の地道な努力により、今のところ論文数は何とか微減傾向でとどまっており、当面はこのまま存続していくと見込まれます。しかしこの傾向が長期的に続いていくと、そのうちどこかで大きな方向転換が必要な時期が来るかもしれません。

     そもそも日本という地域に特化した学会を構成し維持していることに関して、我々はそれが当たり前に存在するものではないということを認識すべきだと思います。現在、英語以外の母国語で大学レベルの専門教育を維持できている国や地域は、それほど多くはありません。これは我が国の国民にとってはきわめて恵まれた教育環境であると言えますし、逆に2カ国語をこなすことが国際競争においてハンディキャップとなっているという見方もできます。母国語で専門教育を受ける人間が一定数いるということは、母国語で学術論文をきちんと執筆できることを評価する仕組みが必要であり、その地域を代表する学会や論文誌が存在することに必然性があると言えます。現在、日本では大学院レベルで英語化が進みつつありますが、学部専門教育までを英語化するのはメリットとデメリットが拮抗しており、当面は日本語による教育が主流という状況が続くと思われます。

     ところで本会では国際化を目指して英文誌JIPも発行していますが、JIPの編集委員は和文誌の編集委員とほぼ重なっています。著者と査読者は日本人とは限りませんが、編集作業に関しては、非英語圏の人間が集まって英文の原稿やコメントを読みながら、日本語を交えて議論が行われています。考えてみれば不思議な仕組みですが、これは、母国語で専門知識を学び、母国語で考察や議論を行いながらも、英語で海外に発信し情報交換を行いながら国際社会で生きている現代の日本人の姿が反映されているのではないかと思います。この体制がこれからも永続的に続いていくのか、それともいつか世界統一の学術基盤に統合される日が来るのか、それは我が国の将来の形に依存するのだろうと思います。

     情報処理学会では、小中高校の情報科目の標準カリキュラム策定や、大学入試における情報科目の導入に学会として協力しています。またジュニア会員の制度を拡充するなど、若い世代へのアウトリーチ活動にも注力しています。これは無意識のうちに、情報処理の分野において、母国語による専門教育を維持することにつながり、日本という地域を代表する学会の存在意義を示していることにもなっていると思います。

     本会の論文誌は、約18,000人の有料会員を擁する情報処理学会が主体となって編集・発行している歴史ある論文誌であり、姉妹学会である米国ACMやIEEE-CSとのJoint Awardも持っており、情報系の分野で地域を代表する地位にある論文誌であると言えます。現在、創立60周年記念論文☆1を募集中ですので、皆さま奮ってご応募ください。多数のご投稿をお待ちしております。