「Usenetの時代」
松井 充(企画担当理事)
今から20年ほど前のインターネット初期のころのお話。当時 Usenet(日本ではネットニュースと呼ばれていた)というバケツリレー式の掲示板が盛んで、私も仕事中によく見ていた。私よりお詳しい方がたくさんいらっしゃると思うが、この掲示板ではひとつひとつのニュースグループ(今でいうスレッド)に、階層化されたカテゴリによって名前がつけられており、誰でも匿名に近い形で投稿ができる。たしか会社のサーバに流れてきたニュースグループだけでも数千はあったと記憶している。
個々のニュースグループで議論されていた内容は、今のネット掲示板と変わらず、要するになんでもあり。政治・宗教の話題から、ゲームの攻略に関する相談、あるいは計算機のテーマでは、たとえばbsh派とcsh派の論争やvi派とemacs派のエディタ戦争など、退屈することはなかった。私が見ていたころはvi派は旗色が悪く、emacsにあらざれば人にあらずとの雰囲気が支配的であったが、個人的には軽くて小指を酷使しないviが好きで、実は今でも愛用している。
このニュースグループのなかに、自作(?)ゲームのソースプログラムを流すことを目的としているものがあり(うろ覚えだがalt.binaries.gamesとか言う名前だったと思う)、これをダウンロードするのを私は毎日楽しみにしていた。家庭でインターネットという時代より前の話なので、もちろん会社で仕事の合間に(「仕事中に」の婉曲表現)である。1つのゲームソースは数十個に分割されて投稿されることが普通で、ひとつでも欠けていると復元できず、またサーバの容量の関係で過去の投稿は頻繁に消されてしまうので、運よく全部そろったときの感動はひとしおであった。しかし苦労はここからだった。
喜び勇んでソースをコンパイルしてもたいてい1回では通らないし、うまくコンパイルできてもゲームはまず期待通りには動いてくれない。原因を調べるべくソースコードを追っかけても、最初のうちはなぜそうなるのかよくわからない。仕方がないので自分でマニュアルやら技術書やらを読んでいるうち(仕事中にこんなことしているので当然まわりには聞けない)、どうやら処理系によってシステムコールの実装が違うらしいとか、あるいは当時は珍しくなかった、コンパイラのバグらしいということが段々とわかってくる。
それでもプログラムを何とか動かすために、ソースの修正を試みたり、処理系を最新版に更新したり色々努力した。当時はオンライン更新のような気の利いたものはもちろんなく、どの版からどの版に更新するのか自分で管理せねばならず、結構手間がかかった。結局、自分の手には負えず、泣く泣くあきらめることも多かったが、場合によっては努力が実を結んで、期待通りの動作でゲームを楽しめることもあり、その時は「生きててよかった」。でもゲームで遊ぶ楽しみより、ゲームを動かすというパズルを解くことの方がよほど楽しかったのだと思う。
その後インターネットが本格的な商用サービスの時代をむかえ、ウェブが新しいメディアとして成長していくにつれ、ネットニュースの価値は次第に薄れ、すたれていってしまう。会社のニュースサーバが廃止されるころには、ニュースグループを見ることもほとんどなくなっていた。私はその後も、ソフトウェア開発とは別の形でプログラミングにかかわり続けているが、今思えばこの時に得た経験は貴重だった。後にも先にも、人の書いたプログラムをこんなに真剣に読んだことはなかったし、そのおかげで、優れたソースプログラムとはどういうものであるかを学習し、それは後々非常に役に立った…
これは今よりずいぶんおおらかな時代の話ですが、目的は何にせよ若い時に熱意をもって取り組んだことが、将来、別の意味で財産になっているということは、結構あることなのではと思い、20年前を思い出しながら書いてみた次第です。