「社会と手を携えるためのアウトリーチ活動」
稲見 昌彦(企画担当理事)
2022年11月に「ChatGPT」が登場して以来,深層学習を使った生成モデルの技術が研究者だけでなく一般の方々の間でも話題になっています。生成系のAIの研究開発が活気付いていることはもちろん,応用の可能性の広さが産業界の注目を集めているのはご存知のとおりです。
一方で,企画担当の理事として気になるのが,先端技術に馴染みのない方々の反応です。「AIが進歩しすぎて人類に危害を加えないか」「仕事が奪われるのではないか」といった不安が,徐々に広がってはいないでしょうか。
一般の方からすれば,これまで情報学とはネットやコンピュータの中の話であって,浮世離れした技術だったのかもしれません。生成AIをめぐる社会の反応は,状況が一変したことを示しています。重大事故や公害を起こし得る技術と同様,もしくはそれ以上の危うさを秘めた技術と見なされる可能性があります。実際に情報学の悪用は,ともすれば社会の分断を生み,戦争につながる事態を引き起こさないとも限りません。
このような状況の中で,情報処理学会として,あるいは一研究者としても,最新の研究成果を社会に正しく伝えるだけでなく,共感的理解を得ることがきわめて重要な責務になっています。従来のアウトリーチ活動では,開発した技術の内容を分かりやすく説明することに重点が置かれていました。今後はそれだけにとどまらず,新技術がもたらす社会や生活のビジョンを伝え,自分たちの生活を豊かにするものとして,研究成果や研究者・技術者に対する共感や理解を一般の方々にも広げることが必要だと考えます。
筆者は,2023年3月に終了した「JST-ERATO 稲見自在化身体プロジェクト」の一環で,アウトリーチ活動の新しいやり方を探ってきました。このプロジェクトでは,ロボットやバーチャルリアリティの技術を用いて身体を拡張し,人々が自在に操れるようにすることが目標でした。たとえば人体に3本目,4本目の腕を授けたりするのですが,その特異な見栄えから,一般の方への伝え方に失敗すると拒絶反応を招きかねませんでした。
そこで我々が取り組んだのは,技術でなく文化の力を借りる方法です。新たな腕を追加する研究では,筆者の大学の同僚で著名なデザイナーでもある山中俊治氏らに,「自在肢」と名付けたロボットアームのデザインを依頼。実際に製作した自在肢をプロのダンサーに装着してもらい,身体表現の拡張をイメージした動画を撮影しました。
この動画をTwitterで公開すると,2カ月足らずで170万回以上視聴され,1.7万件を超える「いいね」を獲得できました。その後ロイターからも配信され,今や世界で話題となっておりこの9月にオーストリアのリンツで開催されるメディアアートの祭典「Ars Electronica」にてパフォーマンスを行うことになりました。ややもするとハリウッド映画の悪役のようにも見える多腕の人体が,洗練された外観と流麗な動作によって,新しい美と表現を生み出せることを示せたと自負しています。
舞台芸術に携わるアーティストとのコラボレーションをさらに大規模に展開したのが,自在化技術を活用したパフォーマンス公演「自在化コレクション」です。古典芸能,現代舞踊,映像,音楽など複数の表現形式を通じて,自在化身体プロジェクトのビジョンと研究成果を体感してもらう試みでした。自在化身体のコンセプトや未来社会のイメージを反映した演目が,開発した技術や試作機のデモンストレーションも兼ねた格好です。
観客は研究者だけではなく一般の参加希望者も多く,大きな反響を呼ぶことができました。公演後にはカルチャー系メディアの記事に取り上げられ,複数のショービジネス関係者からの問合せもありました。
このほか,新進気鋭の映画作家による映像作品「JIZAI」の製作や,LEGOを使って親子で「6本目の指」を作ってみるワークショップの開催,日本科学未来館や東京スカイツリータウンにおける開発成果の展示,自在化身体の基礎をまとめた一般向け書籍『自在化身体論』とその英語版の出版など,思いつく限りの手段にチャレンジしました。これらの活動をとおして,サイエンスコミュニケーションの新たな方法論を開拓できたと考えています。
一連の活動の背後には,実は専門の広報チームの存在がありました。プロジェクト本部内の組織として立ち上げ,情報発信の機会の創出や,外部の協力者との関係づくりを担当しました。このチームの活躍もあって,情報発信の機会や新たな協力関係の構築が連鎖する好循環を実現できました。
自在化身体プロジェクトの経験から学んだのは,アウトリーチ活動に戦略的に取り組むことの大切さです。今後は企画担当理事として,情報処理学会ならではの攻めた企画を立案するとともに,広報広聴戦略委員会と連携しつつ研究者の外側の一般の方々とも手を携えることが可能なアウトリーチ戦略の議論を深め,具体的な実践につなげたいと考えています。