「モアローカルとアンドラゴジー」
萩谷 昌己(副会長)
本会創立60周年宣言の副題はMore local and more diverse for global valuesであった。特に最初のモアローカルという言葉は、私個人が学会活動について長年思ってきたことを反映している。私はこれまで研究会主査、領域委員長、調査研究運営委員長、調査研究担当理事などを務めたが、本会で活動を行う間、日本の学会の意義について常に考えていた。ACMやIEEE-CSのようなグローバルな学会があって多くの国際会議が開催されている。研究成果を発表するにはグローバルな学会があればよいのではないか。ローカルな学会での活動はグローバルな学会での活動の予稿演習であり、その意義は決して小さくはない。しかし、国際会議にもさまざまなレベルがあるから最初から国際会議で予稿演習してもよいだろうし、国によってはグローバルな学会のローカルなチャプターがそのような場となっているところもある。
この点に関して私は、情報学という学問分野の本質を考えねばならないと思う。情報学の目的は「情報によって世界に意味と秩序をもたらすとともに社会的価値を創造する」ことである。これは、日本学術会議が本会の協力を得て策定した情報学の参照基準の中のフレーズである。つまり、情報学は情報に関するさまざまな側面を探求する学問であるが、究極的には社会課題を解決して新たな社会的価値を創造することが使命となっている。社会課題の多くはローカルな課題であり、グローバルな課題もローカルな課題から発展する。ローカルな課題を解決できずして、グローバルな課題を解決できるはずもない。したがって、ローカルな社会の課題を解決することは情報学の本質であり、その場としてのローカルな学会は決してグローバルな学会で置き換えられない。学会の支部はさらにローカルな場として位置付けられるだろう。
ローカルな活動の典型が教育に関する活動であり、情報教育の課題は情報学が解決すべき最も重要な課題の1つである。この点で情報学は芸術に似ているだろう。芸術の発展はそれを鑑賞し評価する社会の発展と連動している。情報技術も社会全体の受容があってはじめて発展する。その思いを背景に、副会長に選出される前は情報処理教育委員長として情報教育の活動に傾注した。教育担当理事、情報処理教育委員会とそのもとの委員会の方々の努力の甲斐があって、共通テストに情報が入るという見通しが立ちつつある。これも含めて、初中等教育における情報教育の進展が社会全体から見えるようになってきている。
その一方で、大きな課題として残っているのが、大人の情報教育である。かつて竹内郁雄氏が唱えたように「大の大人の情報リテラシー」は、ずっと昔から課題であり続けている。アンドラゴジーという言葉があるそうだ。語源的には成人教育を意味するが、特に自己研鑽に着目した大人のための教育理論のことを指すようである。そのような教育理論があるように、大人に勉強させることは本質的に難しい。なぜなら、大人はプライドが高く、忙しくてケチで、実利がなければ努力しようとしないからである。
社会人教育の充実、資格認定制度の整備など、さまざまな方策が考えられるだろう。しかし、社会全体の関心を大きくすることが重要だと、特に最近では考えている。その点で、大学入試に情報が入ることの効果は激烈である。さらに大きいのは、小学校のプログラミング教育ではないかと最近になって思っている。小学生でも勉強していることは、大学入試に出ることよりも、社会全体へのインパクトは大きいのではないだろうか。小学生でもプログラミングができることに気付いて焦った大人が、こっそりと勉強を始めることを期待する。
学習指導要領も大学入試も、公教育の中核をなしている。それらの制度の改革が情報教育への社会全体の関心を引き起こすことは否めない。しかしその一方で、情報教育を推進すべき公教育の現状は険しい。高校の情報の専任教員の状況が典型的である。公教育を支援することが重要であるとしても、MOOC、予備校、教育YouTuberといった公教育以外の充実にも期待すべきである。もちろん、上述した大人の教育にもつながる。このような教育の自由化の動きは、公教育を壊すという懸念もあるが、むしろ逆に公教育を新たな展開に向かわせるのはないだろうか。
このように考えてくると、学会の行うべきことも明らかになってくる。1つは基準を作ることである。もう1つは、それに則った標準的な教育コンテンツを世に出すことである。幸いなことに、本会ではどちらの活動もますます活発になってきている。前者の例として、情報教育課程の設計指針やデータサイエンスカリキュラム標準がある。後者の例としてIPSJ MOOCがある。今後も、地道にこれらの活動をしっかり継続し発展させていくことが特に重要である。そのための体制を維持・充実させることも望まれる。もちろん、副会長としてでき得る限りのことは行っていきたい。