| 「日本の情報教育・情報処理教育に関する提言2005」のパブリックコメント対応について
2006.11.24情報処理学会情報処理教育委員会  我々が2005.10.29に公開した「日本の情報教育・情報処理教育に関する提言2005」(以下「提言」と記す)について、2005.12.10〜2006.3.31の期間にパブリックコメントを募集したところ、9件のコメントを頂いた。多くの方に関心をお持ち頂き、また貴重な御意見を頂けたことをここに感謝する。  本文書は、これらのコメントについて検討したうえで、個別の指摘事項について、我々としての見解をまとめたものである。コメント募集時に「メールアドレスを公開しない」こととしてあったが、参照しやすさのため、以下では各コメントに「c01」〜「c09」の番号を付してある。コメント本文については、読みやすくするために適宜整形し直させて頂いた。  また提言についても、これらのコメント、および我々の内部でのさらなる検討に基づいて、改訂/追補を行った。これについては別途公表予定の「日本の情報教育・情報処理教育に関する提言2005(2006.11改訂/追補版)」を参照されたい。 From: c01 Date: Wed, 14 Dec 2005 17:11:50 +0900  > 重要度他によって、いくつかに分類してコメントを書きます。
 > 1. ぜひ追加して欲しいこと。
 > 3. 問題点2のp.3右欄最上部の段落の次:
 
 > 「ソフトウェア構築の技能を学ぶのが大学卒業後の社内教育というのは
 > 明かに遅すぎ」とあるが、「必ずしも情報技術を専門としない大学卒業
 > 生」を採用してきたことによる最大の欠点は、その会社で当面実践的に
 > 必要とする知識・技能だけを社内教育で教え、「情報処理の基本原理」
 > の教育まではなかなか手が回らないというところにあると、私は考えま
 > す。この点について加筆していただければ幸いです。
 確かにご指摘の面はあると考えます。当該箇所に[注B1]を追加することで対応させて頂きました。  > 2. 反対意見
        > 7. 提言のp.8左欄上部
 >  「残るB/Cの内容を1科目として統合した上で」
 
 > 1科目として統合することは必須ではないと考えます。いくつかの選択
 > 必修として残っても、その全てに「手順的な自動処理」が含まれればよ
 > ろしいのではないでしょうか? 現在の日本では実質上、全員が高校へ進
 > 学しているという事実を考えると、1科目しかなく、それにたいして易
 > しい教科書と難しい教科書があるという状況を期待するよりも、複数の
 > 科目からの選択が可能と考えるほうが柔軟性が高いと考えます。
 ご指摘の通り、その方が「制度上の」柔軟性は高いのでしょうが、それは現行の「多くの共通部分を持った情報A/B/C」の選択と同じ構造であり、したがって現状と同じく、「その中の学校側がやりやすそうに見える1科目だけが開講される」ことになるのではないかとの危惧があります。将来的にはそのような柔軟性を指向するべきなのかも知れませんが、現在は「共通の土台」に注力するためにも、1科目とするのがよいと考えました。ただし、この点の説明が不足していたと考えられますので、当該箇所に[注B9]を追加しました。 なお、高校により生徒の層が違うため一種類の教育内容を全高校で必修とすることは現実的でない、という実態は確かに存在します。しかし日本全体の将来を考えると、現場への対応よりも日本全体の情報教育の方向付けを優先するべきだと我々は考えました。また、教育困難校においても有効な情報教育の方法論の研究も行われていて効果を上げています。そのように、教育困難な現状を肯定するのでなく打破する道も探られるべきだと考えます。 > 3. 絶対反対ではないが、疑問に思うこと
                        
        
 > 「手順的な自動処理」を小学校段階で「全員に」体験させるという点:
 > この体験が小学生で可能であるという点、体験させるほうが良いという
 > 点は私も認めます。問題は小学校時代に養っておくべき基本的能力は他
 > にもたくさんあるという点です。週休2日制によって授業時間がかなり
 > 減った中で、これを必須として入れよと主張することは、他の何かを削
 > れということを反面で言っていることになります。私は教育学者でもな
 > く、小学校で教えられている、あるいは養うことが期待されている全教
 > 育内容を知っているわけでもありませんから、この主張にたいして賛成
 > とも反対とも言いにくいのです。ただ、上記の理由で危惧を感じている
 > ということだけお伝えします。中学校以降の段階では賛成です。
 ご心配はよく分かります。しかし、現在小学校において「総合的な学習の時間」を用いた情報教育が現に行われており、一定の時間が割かれています。我々の主張は、その時間配分をやりくりして「手順的な自動処理」に「4学年〜6学年の3年間の間にどこかで数時間程度」を割いて欲しい、というものです。他の教科の時間を削ることは主張していないことをご理解ください。Q&Aの中にこれに類似する項目がありますので、そこに[注B10]を追加してこの点を明記しました。 > 4. 言っても詮のないこと。したがって、これらを提言に含めることは
        > 主張しません。
 
 > (a)問題点2のp.3右欄下部の情報関連学科の教育体制に関連して:
 > 日本の社会において、情報技術者が尊敬もされていないし、報酬も良く
 > ない。残業残業に追われ、?歳定年説がはびこり、社会のインフラ情報
 > システムに不具合が生じれば、とたんに責任を追及される、という職業
 > 像が一般に流布していることこそ、最大の構造的問題ではないでしょう
 > か? これにはマスコミも責任あり?
 
 > (b)4. 「情報処理教育」から新たな「情報教育」へのp.4右欄あたり:
 > 情報の活用の手段や手法について教えることは重要ですが、そもそも日
 > 本は「情報が活用されない」、「情報の役割が軽視されている」社会で
 > あるように思います。ここから改善しなければ真の意味の情報教育にな
 > らないと最近私は感じています。これについては、例えば堀栄三:大本
 > 営参謀の情報戦記--情報なき国家の悲劇、文春文庫、1996 において、
 > 大日本帝国陸海軍が犯した過ちを我々は戦後も政府や企業において繰り
 > 返しているのではなかろうかという警告に同感です。
 これら2点は確かに重要なご指摘だと考えます。前者については[注B3]、後者については[注B5]として、それぞれの該当箇所に注を追加しました。 From: c02 Date: Tue, 27 Dec 2005 16:41:51 +0900  > ●国語教育との連携:
                                  
        
 > 手順的な自動処理を構築するためには、まず、自然言語、多くの人にとっ
 > ては日本語で、手順を厳密に記述する必要があります。また、言語を使っ
 > て考える訓練は、数学教育と並んで、論理的思考力の養成に重要です。
 > しかしながら、国語教育は、漢字の暗記と文学作品の鑑賞に二極化し、
 > 実用的な文書、例えば説明書を読み書きする訓練が不十分です。そこで、
 > ICT社会における新しい国語教育、例えばテクニカルライティングの導
 > 入を提案します。
 自然言語で手順を厳密に記述することも、たしかに必要なことです。しかし我々は、「手順的な自動処理」、すなわち、厳密に記述したあとそれをコンピュータ上の処理系で実行し、それにより、それが本当に正しく厳密なものだったのかどうかが明白にわかる、という体験をすべての児童・生徒に持たせることが、従来の国語教育や数学教育と同じぐらい大切なものだと考えます。とはいえ、国語科との連携については確かに望まれるところですので、「手順的な自動処理」に関する[注A1]において、国語科との連携にも触れるようにしました。  > ●実用的な専門家向け教育:
                                      
        
 > 大学の情報系学科では、様々なプログラミング言語や、理論が教えられ
 > ています。しかしながら、職業プログラマーの実際の業務と比べてみる
 > と、例えば次のような、ちぐはぐな現象があります。
 
 > ・Emacs エディターを使っているのに、コピーペーストやスペルチェッ
 >   クのような実用的な機能の存在を知らない。
 
 > ・デバッガーの存在すら知らずにC言語でプログラミングを勉強し、
 >   segmentation fault がどこで発生したか判らずに悩む。
 
 > ・版管理システムを使っていないために、卒業論文発表会の前日にプロ
 >   グラムが動かなくなったというような事故が起きている。
 
 > このようなことは、教員と職業プログラマーが共同で教えるとよいかも
 > しれません。
 ご主張は理解します。ただ、「情報専門学科で学ぶべき内容の一部分」に関するご意見であるため、本提言の主題(国民の情報水準の向上)からはやや外れているように思われました。このため、改訂に際してとくに対応はしませんでした。ご理解をお願いします。  > ●物作りの楽しさの体験:
                                            
        
 > かつて趣味で模型やラジオを作った子供の多くが、現在日本の産業を支
 > える技術者になっています。ソフトウェアや芸術作品を含む、広義の
 > 「物作り」の楽しさを子供たちに教え、そのなかの分野として、「自動
 > 処理の構築」を扱いたいです。また、Linux を開発したリーナス氏は、
 > 開発の目的を次のように述べています。Just for fun.  (それが僕には
> 楽しかったから)
 そのご意見には賛成です。この部分は「手順的な自動処理」の特徴として「感性の表現」を挙げることでカバーしたつもりでしたが、検討の結果、必ずしも「感性の表現」とは同一でない可能性もあると判断したため、当該箇所に[注B8]を追加して対応しました。  > ●リカレント教育の充実:
                                                
        
 > 私は、ソフトウェア開発の仕事に従事しながら、某大学夜間部で数学を
 > 勉強し、仕事に役立てました。その経験から、ソフトウェア技術者を養
 > 成する最善の方法は、大学院の社会人入学だと考えています。夜間、土
 > 曜日に開講する大学院、通信教育等の充実を望みます。
 これについては、目標の(f)、提言内容の(6)が対応していると考えます。このため、改訂に際してとくに対応はしませんでした。ご理解をお願いします。 From: c03 Date: Sat, 14 Jan 2006 01:08:35 +0900  > 私は「問題点1」の解決のために、子供にプログラミングの楽しさを知っ
        > てもらう目的でビジュアル言語を研究開発してまいりました.
 
 > しかし、最近私が思い始めているのは、子供よりもむしろ大人を対象に
 > したシステムの方が重要なのではないか、ということです. 教育用、子
 > 供用の言語やシステムの研究は数多くありますが、研究者や理解者の周
 > 辺を超えて、爆発的に普及できない理由は、一般の大人の理解が足りな
 > いからなのではないでしょうか.
 
 > 一般の大人が使って楽しい、便利、使いやすいと思うようなシステムが
 > 普及してはじめて、それが国民全体に教えなければならない重要なこと
 > である、ということも伝わるのではないでしょうか. くだけていうと、
 > ブログやメールくらい簡単で便利な大人向けのプログラミングシステム
 > が必要ということです.
 
 > 本提言自身のコメントというより、研究者が何をターゲットにするべき
 > か、という意見でした.
 コメントありがとうございました。我々としても、大人を対象としたシステムが重要でないとは考えていません。だた、大人を対象としたシステムについては、情報処理教育委員会としての、教育内容に関する提言の守備範囲ではないと考えたため、改訂に際してとくに対応はしませんでした。どうかご理解ください。 なお、大人が情報技術を理解しなければ…というのは鶏と卵の問題でもありますが、その一手段として情報教育の中に情報処理教育をきちんと含め、すべての国民の情報水準を向上させる、というのが我々の主張です。 From: c04 Date: Thu, 02 Mar 2006 17:51:08 +0900 (JST)  > 1. データ処理と情報処理
                                                              
        
 > まず、「データ」と「情報」の区別が為されていません. 「データ」は
 > 日本語で考えるならば値、または値の集合であり、値に対する背景の理
 > 解を必要としません. それに対して「情報」は「データ」に対して背景
 > を伴います. ですから、「データ処理は背景を伴わない値を形式的に処
 > 理する」、「情報処理は背景を理解し、社会などへの影響も考慮した上
 > で、値を処理する」と定義します.
 
 > そういう理解の上で、披露されている提言を読んでみると、データ処理
 > については細かいことまでいろいろと書かれていますが、情報処理のこ
 > とについてはほとんど書かれていません. 「情報処理」はどう教育され
 > るのでしょうか?
 ご指摘の通り、「データ」と「情報」の区別についてきちんと記述するべきでした。これについて、4節冒頭に[注B4]を追加しました。我々としては、「手順的な自動処理」の構築はおっしゃる意味での情報処理であり、また現行指導要領に含まれる「問題解決」もおっしゃる意味での情報処理だと考えています。「問題解決」の教育方法については、現行の情報教育の中で(簡単ではないにせよ)各教員が工夫されているものと考えますが、それをより有効なものとする上でも「手順的な自動処理」の構築が有効と考えています。これらの点についても、同じく[注B4]に記述しました。  > 2. 国語教育と数学教育との関係
                                                                  
        
 > カリキュラム改訂の提言をしていますが、教育に掛けられる時間は決まっ
 > ています. 特に必修に定める時間は決まっています. その上で情報教育
 > だけを増やすことは出来ません. 一方、情報教育という名の下に、コミュ
 > ニケーション不足の学生の日本語教育をしたり、離散数学や論理数学の
 > 授業がないために、プログラミング教育の名の下にこれらの教育をして
 > います. これらは国語または数学の授業で行われるべきではないのでしょ
 > うか? この際なので、国語および数学教育の改訂を提言にまで及ぶべき
 > ではないでしょうか?
 まず、我々が情報教育の総時間を増やすことは主張していないことをご理解ください。コメントc01への対応でも書きましたが、我々の主張は現在情報教育に割り当てられている時間の配分を再検討して「使い方」部分を見直し、そのぶんを「手順的な自動処理」の体験にまわすことです。この点についてはQ&Aにも書いたつもりでしたが、さらに[注B10]を追加して明記しました。 > 3. 情報の処理
                                                                        
        
 > 情報は背景を持つ値であると定義しました. 背景が変われば、情報の価
 > 値が変わります. 背景が変わるとは、情報の所有者が変わる、情報の分
 > 布密度が変わるなどがありますが、情報と情報が結合して新しい情報と
 > して価値を生み出すというものがあります. また、情報の変容により、
 > 良い意味でも悪い意味でも社会に大きなインパクトを与えることもある
 > でしょう. 高等教育機関で学ぶ者は、情報の価値を知り、情報のコント
 > ロールができる必要が有ると思います.  これは単にセキュリティを学
 > べというものではありません. 確率統計やデータマイニングが持つイン
 > パクトをもっと真剣に検討し、価値を高める・低めるのコントロールが
 > できるようにしなければならないと思いますが、これについてはいかが
 > でしょうか?
 重要なテーマだと思います。提言との対応で言えば、データマイニング等の「情報の価値を制御する」内容については、高等教育レベルなわけですから、目標の(e)、提言内容の(4)の選択科目に含まれることになると考えます。ただし、本提言は高等教育における個別の科目内容までは言及しないという考えで作成していますので、この点をご理解頂ければと思います。 From: c05 Date: Thu, 16 Mar 2006 17:20:48 +0900  > 現場ではたらくプログラマとしての実力をつけるべく一人で学修をすす
        > めていますが、指導的立場にいる人の傲慢や無知からおこる害を直接的
 > に受けています。
 
 > 正しく実力をつけるための学修の場が我々には失われている事を実感し
 > 企業の道具としてしか機能していないことに非常な悲しみを覚えます。
 > なんの援助もなくひとり茨の道を歩むのみです。
 
 > あなたがたは学問のありかたを取り違えているのではありませんか。
 
 > プログラミングにおいて私の経験された事は
 > http://homepage1.nifty.com/manikana/
 > の掲示板にてmuの名前で書き込まれています。またこのページの管理人
 > である石飛道子先生も本質的な見解を御持ちだと思います。
 申し訳ありませんが、具体的に提言の内容としてどのような変更ないし改訂をすべき、というご主張なのかが読み取れませんでした。挙げられた掲示板についても拝見させて頂きましたが、「数理的な側面もきちんと学ぶべき」という理解でよいでしょうか。 もしそういうことであれば(違っていたらご容赦ください)、小学校・中学校段階では「手順的な自動処理」の構築体験の中から児童・生徒それぞれの発達段階にあった形で自発的にそのような定式化や共通性を発見することを期待し、高校段階では「情報B+C」の必修科目内ではそれに加えて「問題解決」の項において一定の数理的定式化も含んだものを学び、また「手順的な自動処理」を系統的に学べる選択科目においては、アルゴリズムとの関連を中心に学ぶということになるかと考えます。 ご主張の内容理解に確信が持てないため、提言の改訂内容としての対応は控えさせて頂きました。どうかご理解ください。 From: c06 Date: Sat, 18 Mar 2006 18:48:55 +0900  > ICT業界で業務に従事している一会社員でありますが、以下にコメント
        > をさせて頂きます。
 
 > 初期教育的見識としては、異論御座いません。しかし、「人材不足と水
 > 準の低さが、大学卒業後の社内教育という遅すぎる条件で技能が身につ
 > かない」、という点に、異論が御座います。
 
 > 原因は、技術的経験を積み重ねていくことによって熟練する人材を輩出
 > する業界とは成り得ない構造にある、と存じます。
 
 > 例えば、受託開発においては、ソースコードの良し悪しは人事評価には
 > 結びつきません。評価に結びつくのは、より多くの人月を稼ぐことであ
 > り、むしろ、質の悪いコードを組む人材を多く抱え、売上を上げること
 > のほうが重要視される場合が多いのではないでしょうか。
 
 > 又、一個人の見地からみますと、言語一つ取っても、変化が激しく、派
 > 生技術も多すぎます。これは、Microsofが.NETを打ち出したり、Sunが、
 > applet, jsp, servlet, ejp等の経緯を見れば、明らかと存じます。
 
 > これらのことから、業界全体を、職人業的、業界に戻すことこそが、根
 > 本解決と存じます。
 
 > そこで、わたくしは、日本発の技術基盤、デファクトスタンダードを確
 > 立し、グローバルスタンダードとは異なる基盤で、グローバルスタンダー
 > ド同様のサービスをユーザに提供する方向とすること、そして、人のア
 > ウトソースを止める方向とすること、の2点を提案したいと存じます。
 ご主張についてはうなずける点が多くあります。ただ、我々が提言で挙げた点も「要因の一部」ではあるのではないでしょうか。決してそれが要因のすべてだと主張しているわけではありません。この点に関する注記を3節冒頭に[注B1]として追加しました。 個々の具体的なご主張内容につきましては、教育の範囲から外れていると考えたため、今回の改訂ではそれ以上の対応は見送りました。ご理解をお願いします。 From: c07 Date: Sat, 25 Mar 2006 22:22:17 +0900  > パブリックコメント募集に対して僭越ながら意見を申し上げます。
                                                                                                  
        
 > 旧来、専門職のみが知識を蓄えていけばよいとされていましたが、情報
 > 関連の仕事に当たってはそれでは足りず、基礎教育の段階で知識の底上
 > げが必要と考える貴会の考え方にはうなずけるものがあります。
 
 > 教育の中で意識的に排除されてきた部分の復活が必要であるという点や、
 > コンピュータという道具は人間が指示したとおりに動作することの再確
 > 認が必要とされる点も同様です。
 
 > しかしながらこの度の貴会の提言では、道具がユーザインタフェースの
 > 面で人間に合わないときには道具の方を改良すべきであるという点があ
 > まり示されておりません。それ故、「手順的な自動処理」の成功体験を
 > 児童・生徒に広く獲得させんとする貴会の考えが、体験にたどりつくま
 > での学習中に腰砕けになってしまう虞を感じます。
 
 > 情報処理とは関係なく、昨今より学習進度別の学級編成が幾度か論じら
 > れてきたことはご存じのことと存じます。そこで、改めてコンピュータ
 > が関係する教育について考えますと、この分野にこそ多様な学習進度に
 > 対応した教育体制が必要ではないかと思われるのです。
 
 > 具体的には、操作面のアクセシビリティ対応基盤が整備されているにも
 > かかわらず、やれローマ字入力でなければダメだ、逆にかな入力でなけ
 > ればダメだ、という実に低次元な「強制」が教育現場に持ち込まれてい
 > るのです。むろんこれは教育現場に問題があるのではなく、社会全体、
 > いわば日本の大人社会全体がそういう強制を当然のこととしている実態
 > に大きな要因があると思われます。
 
 > 専門職集団である貴会会員はご存じのことと思いますが、特に
 > Microsoft Windowsにおいてはかなり自由度の高い形で多様なユーザイ
 > ンタフェースを提供することができます。現に企業の市販ソフトだけで
 > なく、草の根ベースのフリーウェア・シェアウェアが多数公開されてお
 > ります。これらによって各人の特性に合わせた各人のもっとも使いやす
 > い道具=コンピュータが磨かれていくわけです。
 
 > ところが『道具のインタフェースが悪ければ改良する』という教養を持
 > たない者は、道具に自分を合わせようとするばかりでなく、他人にも道
 > 具に合わせた矯正を施そうとする傾向があります。お気づきのとおり、
 > 歴史的には、人間がコンピュータに合わせてやるという技能こそが今日
 > に言う情報処理技術者であったわけです。他人に合わせることが得意と
 > される日本人が、GUIベースのOSが登場するまでコンピュータ先進国で
 > あったのは故あることかもしれません。
 
 > 話がやや脱線いたしましたが、残念なことに生徒を道具に合わせて矯正
 > する現象は、学級生徒全員が一緒に教育を受ける形態である限り避ける
 > ことができません。有能な生徒たちは教育よりも早く成功体験を得て、
 > その後に、道具を自分に合わせて改良できない教育現場と社会現場を見
 > て絶望するのです。
 
 > 私は、ユーザインタフェースを強要する空間を作ることによって、貴重
 > な人的資源を情報処理業務から引き剥がしてしまうことに強い懸念を覚
 > えます。教育環境と社会環境の両面でこの悲劇は無数に発生しているも
 > のと考えます。
 
 > では、社会現場は今回の提言外として、教育現場においてこの悲劇を避
 > けるにはどうしたらよいか。先に述べた進度別学級を情報分野に関して
 > だけ適用することも一案です。
 
 > しかし、すでに教員は手一杯であり、現実問題としてそれ以上の負担を
 > かけるのは物理的に不可能とする意見が少なくありません。教員の手間
 > を増やさず(できれば削減し)、生徒たちへのユーザインタフェース強要
 > を避け、なおかつ貴会の目的を果たすにはどうすればよいか。
 
 > 一つの手法として授業前の試験による受講免除制度の確立を提案いたし
 > ます。つまり、カリキュラムとしてどの学年時にどのような授業・講義
 > をしていくかはあらかじめ決められているのですから、これをすでに理
 > 解している生徒にはそもそも受講させる必要がない、という考え方に基
 > づき、(1)希望者に対して(2)事前に(3)講義内容に関する試験を受けさ
 > せるか課題を与えるかして、合格者は受講を免除するという制度を立て
 > ればよいのです。
 
 > そのことによって、教育機関が強要せざるを得ないユーザインタフェー
 > スの問題も解決しますし(自宅で行えるか、教育機関のコンピュータを
 > 必要としないことが前提となりますが)、何より有能な人材に時間の浪
 > 費をさせない点は何にも代え難いことです。
 
 > 受講免除によって空いた時間は当人に自由に使わせるのがよいと思いま
 > す。過剰にコンピュータに適応している者が他の学科で苦労している分
 > の穴埋めに使うこともできましょうし、免除試験・免除課題を受けるこ
 > とですでに時間を使っているという意味では単なる休養にしてしまうの
 > も有意義なことかと思います。
 
 > 元々この考え方は別に情報処理教育に限ることではありません。基礎学
 > 問もさることながら、変化の激しい分野ではこのような制度を用意しな
 > いとどんどん世界の最先端から置き去りにされていく虞があります。
 > 貴会には情報処理関連のみならず教育全般をも牽引していく存在になっ
 > ていただきたい。そのためには、義務的な意味で情報処理教育の方針を
 > 説く際に、このような受講免除制度の充実を訴えるのが必須となるので
 > はないでしょうか。今回の貴会の提言そのものに関しては、おおむね賛
 > 意を表したいと思います(子細部分で疑問点もないではないですが)。こ
 > れに加えて、また提言を実現していくためにも、この度私が述べたよう
 > な点に深い深い配慮を頂けるのであればこれに勝る喜びはありません。
 
 > 貴会のさらなる発展を心よりお祈り申し上げます。
 
 > 拙文の要約:
 > 1) おおむね貴会の趣旨には賛同
 > 2) 『道具のインタフェースの方を人間に合わせるべき』という考えが重必要
 > 3) それ故、全員同時受講の前提には反対(成功体験以前の挫折を避けるため)
 > 4) 有能な生徒の挫折を避けるための免除試験の方策提案
 詳細なご提案をありがとうございました。 まず、「全員に体験」についてですが、我々としてはたとえば小学校(4〜6学年)・中学校・高校の各段階において、それぞれ「5時間程度」の体験を持たせることを想定しています。もちろんそれには、適切な題材を用意する必要がありますが、少なくとも「理科の実験」のようなものであり「誰も挫折しない」ようなものを想定しています。この点は5節に[注B7]として追加しました。 次にインタフェースについてですが、「インタフェースは誰か人間が作ったものであり、人間がそれを直すこともできる」という点を理解させることはご指摘通り重要だと考えます。この事項については、「手順的な自動処理」の構築を通じて体得させ得ると考えます。この点についても、5節に[注B6]として追加しました。 教育システム全体のあり方については、教科「情報」だけの問題では済まないため、情報処理教育委員会としてはそこまで提言に盛り込むことは守備範囲外と考え、今回は対応を見送らせて頂きました。ご理解ください。 From: c08 Date: Thu, 30 Mar 2006 01:31:26 +0900  > 1.大学入試センター試験に普通教科「情報」の教科・科目を追加するこ
        >   とについて
 
 > (1)普通教科「情報」に「情報I(必履修)」「情報II」を新設し、「情報
 > I・情報II」をセンター入試の範囲としてはいかがか。
 
 > 大雑把にいうと「情報I」は「情報A」かつ「情報B」かつ「情報C」の内
 > 容(「手順的な自動処理」も含む) 「情報II」は「情報A」または「情報
 > B」または「情報C」の内容
 
 > 新「情報A」新「情報B」新「情報C」は、現行のその特徴を生かした内
 > 容(現在、誤解されているように特化させる)
 
 > 「情報I」のみを必履修とし、その後または同時に「情報II」「情報A」
 > 「情報B」「情報C」から選択履修できるようにする
 
 > (2)センター試験では、2単位の科目も多く、普通教科「情報」も実施相
 > 当であると考える。
 
 > 国・数・外国語は範囲が複数科目にまたがっているのでそれを除くと2
 > 単位の科目は「世界史A」「日本史A」「地理A」「現代社会」「倫理」
 > 「政治経済」「理科総合A」「理科総合B」の8科目で最も科目数が多い3
 > 単位の科目は教科「理科」(「物理I」「化学I」「生物I」「地学I」) 4
 > 単位の科目は教科「地歴」(「世界史B」「日本史B」「地理B」)
 
 > (3)教科書の記載のばらつきについて
 > 大学入試センター試験の科目にふさわしいかどうかとは、別次元の課題
 > と考える。(何が高校生の学ぶべき基礎・基本ととらえるかは、勿論重
 > 要と考えます。)
 
 > 教科書のばらつきは、普通教科「情報」に限ったものではないと思える。
 > 例えば、「地学I」などでは、用語が統一されていないものも少なくな
 > く古生代と中生代の境界の地質年代の値等にも差がある。
 
 > (生徒の実態にあった、よりよい教科書を選んで授業をするのだから検
 > 定を合格した教科書でも不十分なものは、採択しなければよい。そこに
 > 競争原理が働いて淘汰され、よいものだけが残る、という考え方も働い
 > ていると考えられるが・・・)
 
 > 現学習指導要領(の教科書)での大学入試は今年度がはじめてであった。
 > 各科目(特に2単位)ではどうであったのか(難度、奇問はなかったか、教
 > 科書によって有利不利はなかったか、など)、専門家の点検・評価の結
 > 果を知りたいと思います。また、教科書の記載のばらつきと関係がある
 > と考えられるか知りたいと思います。(出題者(問題作成者)の立場では、
 > 教科書の記載のばらつきが大きすぎると困る面はあるでしょうが)
 
 > 2.初等中等教育における教育内容の改善について
 
 > (1)「夏休みの自由研究」を「総合的な学習の時間」と認めてはいかが
 >    でしょう。
 
 > (修学旅行・社会見学(事前学習・事後学習)も「総合的な学習の時間」
 > の時数に含てはいかが)
 
 > 授業日に各教科の授業時間を確保できるようになるばかりでなく、『自
 > ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解
 > 決する』『学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に
 > 主体的,創造的に取り組む』という「総合的な学習の時間」のねらいは、
 > 「自由研究」そのものであり、この期間に各教科の内容から離れて実施
 > することは、効果的であると考える。日本の学校教育の先人の知恵を、
 > 再評価してはいかがであろうか。
 
 > 長期休業期間は、一人一人の生徒が興味関心に応じ、校内外の施設を利
 > 用したり、各種体験をすることも可能である。
 
 > そこで、児童生徒が「情報処理の仕組み」を体験を通じて理解したり、
 > 「手順的な自動処理」の体験をすることは、「情報処理の仕組み」に関
 > 心をもち深めるよいきっかけとすることができるで期待できる。もちろ
 > ん、学校外からの適切な積極的な支援態勢も大切となる。
 
 > (2)次の内容を、義務教育の期間内で学ぶようにするなど、抜本的な点
 >    検をしてはどうか。
 
 > 小学校高学年(算数) 2進数、16進数、カラーコード(数の不思議を知る
 > 一環、表記方法のみで演算はしない(中学入試に含まない))
 > 中学校(技術家庭) 論理回路の原理、簡単な制御、構造の理解(中古パソ
 > コンの分解)(PCをブラックボックスから少しづつ透明にしていく)
 
 > (3)小学校高学年で、算数の応用問題を丁寧に(繰り返し、徹底的に)やる。
 
 > 「手順的な自動処理」を学ぶ基礎トレーニングとして、有効と感じてい
 > ます(個人的な感)。代数的な手法で、ただ答さえ出ればよいというだけ
 > ではないと思います。「電卓があるから、かけ算九九の練習はしなくて
 > よい」とはいえないのと同じで、発達段階に応じた基礎・基本はないが
 > しろにできないと考えます。
 詳細なご提案をありがとうございました。頂いた個々の内容については、提言において提案した内容をより精緻化して頂いたものと、他教科にまでまたがるものとがあるように理解します。精緻化については、提言全体の細かさをこの段階で変更するのは困難なため、また他教科にまたがるものについては、情報処理教育委員会としては他教科の内容にまで踏み込むことは守備範囲外と判断しているため、いずれも対応を見送らせて頂きました。どうかご理解ください。 From: c09 Date: Fri, 31 Mar 2006 16:36:38 +0900  > 今回の「日本の情報教育・情報処理養育に関する提言2005」は、極めて
        > 時宜を得た素晴らしい提言と感じている。と同時に1970年の文部省指導
 > 要領によって普通高校数学科にコンピュータ教育が委ねられて以来、長
 > 年高校短大とその教育に携わってきたものとして、更なる感懐を覚えて
 > いる。ここに現在の教育現場をみるとき、新たに感じられる問題がある。
 
 > 1. 日本の情報教育・情報処理教育について、小学校・中学校・高等学
 > 校・大学の各段階における学習の整合性をどうするのか。その教育を貫
 > く理念を、どう通すのか。
 
 > 2. 現在の文部科学省の施策、大学・学会や企業の姿勢からは、2003 年
 > 以前のかつて存在した教育は、すべてリセットされている状況にある。
 > 「手順的な自動処理」教育の典型であった蓄積を、なぜ捨て去るのか。
 
 > 3. 現在ICT教育と呼ばれている内容には、「手順的な自動処理」の教育
 > ばかりでは解決できないものがある。これをどう考えるのか。
 > 次に各項目ごとについて述べたい。
 
 > 1「日本の情報教育・情報処理教育について、小学校・中学校・高等学
 > 校・大学の各段階における学習の整合性をどうするのか。その教育を貫
 > く理念を、どう通すのか」について
 
 > 日本の教育の現況は、ご存知のように、次のように見受けられる。小学
 > 校:殆どすべてに学校にインターネット使用可能のパソコン設備が充実
 > している。その利用は「総合の時間」等で行われることが多いが、学校
 > ごと先生ごとに、情報に関する知識も情報教育への意欲も異なり、千差
 > 万別で、個人の先生の力量による格差が大きい。携帯による新しい形の
 > 情報教育の試みもあり、個人の先生の興味や努力がさらに格差を生む要
 > 因となっている。中学校:現在は「技術家庭」の技術分野で、「情報と
 > コンピュータ」が必修とされているが「技術家庭」教科の教員免許取得
 > には、情報やコンピュータに関する単位は必ずしも必要ではない。各県
 > ごとに教員研修が行われているが、先生の知識・力量と意欲の差が授業
 > 内容の格差となっていることは小学校と同様である。教科書内容を見る
 > 限りでは、これまで情報リテラシーと呼ばれていた内容を網羅し、その
 > 教育は中学校でほぼ完結できよう。高等学校:新教科「情報」が設置さ
 > れて3年、今年初めて「情報」の授業を受けた生徒が卒業する。生徒の
 > 約80%が選択する「情報A」は内容的に中学校での教育と重なっており、
 > 大学入試センター試験に出題されないこともあって、授業はあまり大切
 > にされていない。
 
 > 大学:大学はそれぞれ独自の教育方針を定め、わが道を行くとの観があ
 > る。どの大学も学生への情報・情報処理の教育の必要を感じているが、
 > 2006年春の入学生の状況をみて、とおおらかに構えているようである。
 
 > 小・中・高・大学とその教育について概観するとき、その整合性の無さ
 > に驚くと同時に、その理念すら、時流に流されて失われてしまっている
 > 姿がある。ここに教育行政を司る文部科学省に尋ねたい。「情報・情報
 > 処理」教育という、これからの社会を生きるために必要な教育のバック
 > ボーンをどこにおくのか、自然に任せて置くつもりなのか、聞きたい。
 
 > また教育を受ける側の問題もある。現在の学歴社会のなかで、親は子に
 > 過度の期待をこめて、幼い頃から子どもの生活時間を管理して塾通いを
 > させ、東大を頂点とする難関大学への合格を望んで努力を惜しまない。
 > 子は親の期待に応えようとし、教師もまた親の意向を汲んで、受験に不
 > 必要な「情報・情報処理」教育は当然のごとく振り捨てている。合格で
 > きた子は、親や世間の賞賛を受け、誇らかに周りを睥睨して自己に満足
 > し、成長の過程で得た、自分さえよければ、の価値観を身に付けていく。
 > 学生の多くは、情報・情報処理に関して殆ど教育を受ける機会を避けて
 > 過し、言葉だけを耳にして成長し、それで充分と考えるのは、当然の成
 > り行きではあるまいか。念願の大学に入学できなかった学生もまた情報・
 > 情報処理に関しては同様であろう。
 
 > 高度ICT人材の育成に程遠いと思われる現状の改善には、将来社会人と
 > なり、さらには企業や行政での政策決定者となるであろう学生への、大
 > 学の教育力に望みを託すほかは無く、中教審や文部科学省が美しい言葉
 > を並べただけでは、もはやどうにもならない事態にあると考える。
 
 > 2「現在の文部科学省の施策、大学・学会や企業の姿勢からは、2003年
 > 以前のかつて存在した教育は、すべてリセットされている状況にある。
 > 「手順的な自動処理」の教育の典型であった蓄積を、なぜ捨て去るの
 > か。」について
 
 > 今では、1970年の文部省学習指導要領の改訂で、普通高校数学科でコン
 > ピュータを扱うようになったことを知る人は少ないであろう。この教育
 > は2003年の学習指導要領の改訂によって高校に教科「情報」が新設され
 > た時まで続いていた。そこで行われていた教育は、教員の手作りの、各
 > 自の授業に合わせた、提言の定義に述べる「手順的な自動処理」の教育
 > の典型であったといえる。その内容は、2000年の第9回数学教育世界会
 > 議(ICME9)の常設展での宮城県のグループの出展
 > (http://www.jkk.jp/icme9)に見ることができる。
 
 > 現在は、1970年当時はもとより2000年から見ても、技術の進歩とその利
 > 用が進み、以前の手法は現在の機械では使用不可能で、すべてをリセッ
 > トし新しく考えようとするのは当然といえる。かつてのような数学とコ
 > ンピュータに精通した教員によるソフトの作成は最早望むべくもない。
 > 文部科学省は、2003年の高校「情報」新設にあたって「情報」の教員免
 > 許を持つものが無かったことから、数学教員を中心に授業でのコンピュー
 > タ利用者に夏休みに15日間の講習を行い、「情報」の教員免許を与える
 > などの方策をとった。2004年になって初めて大学で「情報」の教員免許
 > を持つ学生が卒業したが、すでに充足していた高校情報の教員になる道
 > は険しかった。
 
 > 高校数学教員のうち、「数学」に残った教員は今、授業でのコンピュー
 > タ利用を考えても学校設備のコンピュータはすべて「情報」科の管轄下
 > にあって使用できず、「情報」に移った教員は、その利用に数学のしば
 > りがなくなった反面、これまでとは異なった状況のなかでの利用の方策
 > に苦慮している。文部科学省は、その施策によってかつての高校での
 > 「情報・情報処理」教育を生みそして閉ざした。リセットされた教育で
 > の教員の努力を、人間の能力の壮大な無駄遣いに終わらせるのではなく、
 > 将来に役立たせる方策を望みたい。
 
 > 3「現在ICT教育と呼ばれている内容には、「手順的な自動処理」の教育
 > ばかりでは解決できないものがある。これをどう考えるのか。」につい
 > て
 
 > ある小学校の先生方の研究会で「情報の収集とは、子どもが席について
 > 先生の話を聞くことにある」との発言に驚き「それでは情報の発信とは、
 > 先生の話に、ハイハイと手を挙げて応えることか。」と言い返し、皆か
 > ら認識不足と嗤われた。たしかに、「情報の収集・発信」と聞いて、情
 > 報のコンピュータ処理を連想するのは可笑しなはなしである。情報の処
 > 理の媒体は、人間でも良いわけである。「情報」という言葉には、実に
 > 多くの広がりがある。今時の子ども達を席につかせるのが大変だと先生
 > を嘆かせる小学生に、ICT教育として、「手順的な自動処理」の概念を
 > 伝えることの困難さがある。「情報」教育の根本的な策定が求められる
 > ところであろう。
 
 > おわりに、文部科学省への要望を、あえてここに述べたい。
 
 > A. 高校「情報」科の学習を、情報A、情報B、情報Cからの選択履修とし
 > ないで、これらを統合した形での「情報」として必修履修とする。
 > 理由:情報Aは多くが中学校での学習と重なり、情報Bは「手順的な自動
 > 理」の中核であり、情報Cは情報の特性と社会的影響を扱うので統合し
 > ての学習が必要と考える。
 
 > B. 中学校「技術家庭」の免許取得に「情報」の免許条項を付加する。
 > 理由:教科の授業で「情報とコンピュータ」が必修なので当然であろう。
 
 > C. 教員の無試験検定制度を廃止し国家試験とする。
 > 理由:教員としての最低の条件は、教えるに足る知識を有することにあ
 > ると考える。大学進学率50%のなかで、資質の優れた教員を求めるため
 > に、国家試験で教員免許を与えるべきではないか。
 詳細なご意見をありがとうございました。まず、文部科学省への要望は私供に頂いても対応しかねることはご理解ください。次に、小学校・中学校・高校の接続性については、確かに重要な問題ですが、各学校段階のカリキュラムにまたがる詳細な検討が必要であり、提言の守備範囲からは外れるものと考えます。 数学科の教育内容の活用については、今後あり得る話だと考えています。ただ、これについても、他教科の内容に踏み込むことは情報処理教育委員会としては控えたいとの判断ですので、提言では触れないこととしました。最後に、「手順的な自動処理」の構築以外の部分は、現在の教科「情報」に含まれています。確かに教科書によってはコンピュータ処理に寄りすぎているものもあるかも知れませんが、指導要領では「情報」は必ずしもコンピュータで扱うものに限らないことが明記されています。この部分の教育内容については、やはり本提言の守備範囲からは外れているため、取り上げていません。 本提言はあくまでも、国民全体の情報水準向上の必要性を訴え、そのための最低限の方策を提案することが目的であり、そのために必要な内容に絞って記述していることをどうかご理解ください。  |