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最終更新日:2006年12月12日

日本の情報教育・情報処理教育に関する提言2005(2006.11改訂/追補版)

 

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【概要】

日本の情報教育・情報処理教育に関する提言2005(2006.11改訂/追補版)

2005.10.29 情報処理学会情報処理教育委員会
2006.11.24 (改訂/追補 --- 付録2参照)

 わが国は高度ICT(Information and Communications Technology --- 情報通信技術)社会に向けて基盤の整備を進めているが、設備機器や行政制度などの側面と比較し、人材の育成面では大きく遅れている。このことは「国民全体のICTに対する理解度の低さ」「企業等において情報システムを適切に取り扱える人材の不足」「教育の現場で適切なICT教育を行える教員の不足」「ソフトウェア開発に従事するICT人材の不足と水準の低さ」「その結果としてのソフトウェアの品質や開発効率の低下」 など、多くの問題を顕在化させている。

これらの問題に対処し、世界にまたがる高度ICT社会化の波に立ち後れないためには、過去の「情報処理教育」と現行の「情報教育」を統合し、「情報学の基本」を学習する新たな「情報教育」を定義し、それを実践することで国民全体のICT水準を底上げする必要がある。

我々は、わが国の情報教育が全体として達成すべき目標のうち、現在不足していると考える情報処理的視点をカバーする目標として、次のことを掲げる:

  • (a)すべての国民が「情報処理の仕組み」を、体験を通じて理解し、それに基づいてICTを有効に活用できる能力を備えるようにする。
  • (b)初中等教育段階で「情報処理の仕組み」に関心を持ったすべての生徒に、情報処理の原理と応用について系統的に学べる場を提供する。
  • (c)高等教育に進みわが国の将来を担う人材のすべてが、自らの専門に加えてICTの基礎的な知識と原理理解を持つようにする。
  • (d)高等教育において情報系以外の専門を選択した学生に対しても、適性に応じてICTに関する系統的な学習が行える選択肢を提供する。
  • (e)高等教育において情報系の専門を選択した学生に対し、高い水準のICT教育を行い、情報システム分野、およびその他一般の分野の双方に対して、高度ICT人材を供給する。
  • (f)既に社会で活躍している人材に対しても、リカレント教育の一環として、本人の適性に応じて高い水準のICT教育を受けられる選択肢を 提供する。
  • (g)上記(a)〜(f)、とくに初中等教育段階での教育を効果的に実施できる人数と水準の教員が継続的に養成できる体制を確立する。

 これらを実現するためには、十分多くの人に、「課題を分析し、系統的に解決策を考え、コンピュータに実行可能な形で明示的に表現し、実行 結果を検討し必要なら反復改良する」プロセス(以下「手順的な自動処理」の構築と呼ぶ)を体験的に理解してもらう必要がある。そのための具体的行動として、我々は次のことがらを提言する:

  • (1)小学校・中学校・高等学校それぞれの発達段階に応じて適切な「手 順的な自動処理」の体験を持たせる。
  • (2)高等学校の教科「情報」に選択科目を追加することで、「手順的な 自動処理」に関心を持った生徒が系統的に学べる場を設ける。
  • (3)「情報」を学び、得意とする生徒が多様な分野へ進学できるように、 大学の入試に「情報」に関する内容を追加する。
  • (4)大学の一般情報教育において、「手順的な自動処理」についての制 作体験をさせる。また各専門において、その専門に関連した情報系科 目を選択可能とする(教員養成系においては必修とする)。
  • (5)大学の情報関連学科において、「手順的な自動処理」の構築に対す る適性を持つ学生を対象とし、将来高度ICT人材として活躍できる水 準の教育を行う。
  • (6)大学・大学院の情報分野を含む各専攻において、「手順的な自動処 理」の構築に対する適性を持つ社会人を学生として受け入れ、各分野 におけるICT人材として活躍できる水準の教育を行う。これには(1)〜 (5)の教育を行うことができる教員の養成および研修を含む。

 

日本の情報教育・情報処理教育に関する提言2005(2006.11改訂/追補版)

2005.10.29 情報処理学会情報処理教育委員会
2006.11.24(改訂/追補 --- 付録2参照)

1. はじめに

 わが国は、政府のe-Japan戦略の下、2005年までに世界最先端のIT国家になることを目指し、官民による取り組みを進めて来た。その結果、ICT基盤の構築、電子政府の枠組みの整備など、設備/制度/システム面においては着実にICT化が進んで来ている。

 しかしその反面、最も重要であるはずの将来の人材の育成面、より具体的に言えば、国民全体のICT水準の向上、および最先端のICT人材の育成という面では、小中学校の「総合的な学習の時間」における情報教育の実施、中学校の技術・家庭科における「情報とコンピュータ」の導入、普通高校における教科「情報」の新設/選択必修化、情報関連の専攻を含んだ大学院の定員増など、大きな変革があったにも関わらず、必ずしも望まれる成果が上がっていない。

 その根底には、資源小国であるわが国は、高水準の教育とそれに支えられた技術力を活かして国際社会の中で地位を築いて来たはずであるが、今日の教育においては科学教育や技術教育が軽視されているという問題がある。その中でも情報教育は新しい分野であり、現職教員でその必要性を理解する人材が少ないなどの事情もあって立ち後れが大きく、問題をいっそう重大なものとしている。

 ICT化の枠組みだけができあがっても、それらを担う人材、それらを活用し価値創造を可能とする人材の継続的な供給無しには、わが国の将来にわたる発展が不可能であることは言うまでもない。

 ここで、将来の人材育成といった場合、次のものをはじめとする、多数の水準ないし側面があることに注意したい。

  • すべての国民が持つべき「ICT社会をより良く生きる力」の育成
  • 実務の上でICTシステムに接する人が持つべき「ICT活用能力」の育成
  • ICT社会の基盤構築/維持/発展に資する「高度ICT人材」の育成

 これらは、従来は別個のものと考えられがちであったが、実際には相互に密接に関連している。すなわち、山が高くなるためには十分な裾野の広がりが必要であるように、「情報学の基本」が広く学ばれ、国民全体の「ICT社会をより良く生きる力」の水準が底上げされるようになってはじめて、十分な水準/量の「ICT活用人材」「高度ICT人材」等が育成 可能になると考える。

 今回、情報処理学会情報処理教育委員会では、上記の考えに基づいて現在の教育体制の現状分析を行い、将来の改善のための施策の提言を取りまとめた。

 提言をおこなう対象は「日本国民全体」であるが、その中でもとくに 「情報教育を受けつつある生徒や学生」、その学習を支える立場にある「保護者」、実地に教育を行う立場にある「教員」、ICT人材を受け入れ使いこなす立場にある「企業人/組織人」、および情報教育の制度的枠組みを決める立場にある「政策決定者」には、とりわけ本提言の内容に関心を持っていただきたいと考えている。

 以下では、まず現在のわが国が高度ICT社会に進む上での問題点を挙げて分析し、続いて現在までのICT教育の位置づけと今後に向けての方向づけ、および必要な概念の整理を行う。その後、これらの分析に基づき、わが国が高度ICT社会として成功を収める上で我々が必須と考える、「情報教育」の改革に関する目標ならびに提言を示す。

2. 問題点1:国民の情報技術理解の水準

 今日のわが国では、個人情報の漏洩、ネット上の詐欺や盗難、ウィルスメールの蔓延など、情報技術に関係した事件がニュースに上らない日はないといってよい。情報技術という新しいものが世の中に広まってから日が浅く、国民の多くが情報教育を受けることなく情報化の急激な進展 に飲み込まれているという事情はあるが、今日の情報教育を受けている世代が社会人になった時にはこれらの問題が低減しているかと言うと、必ずしもそうは言えないと考える。

 我々はその根本的な原因について、現在の情報教育が「情報」の特性、 伝達、活用、その社会との関連などの話題について全般的にカバーしている中で、情報技術に関しては個別の知識のみを教え、その背景にある情報処理の基本原理までは必ずしも踏み込んでいない点にあると考えて いる。

 たとえば、多くの国民は、ある情報が「コンピュータによって計算された結果である」と言われれただけでそれが正しいものと考えてしまう。 当然ながら、このような態度は多くの問題を引き起こす。コンピュータ が単に与えられた手順どおりに情報を加工するだけであることを体験に根ざして知っていれば、このような素朴な誤解は起きないはずである。

 別の側面として、2004年におけるフィッシング詐欺のように、ある特定の情報技術に関する問題が顕在化すると、その特定のケースについては警告がなされ国民に注意が促されるが、それとは別の形態の問題が発生すると再び無知による被害が蔓延するという「いたちごっこ」の問題もある。これも、情報処理は原理的に何を可能にしているかという理解が国民全体に獲得されない限り、同じことが繰り返され続けるであろう。

 また、実務において情報技術の専門家と接する人、たとえば情報システムの開発を発注したり、作られた情報システムを理解し使いこなしたりする立場の人が、情報技術に対して、過去に接したことのあるシステムに基づく経験的/表面的な理解しかないため適切な判断ができない、等もよくある問題である。

 教育現場においても、教師の中に情報技術を原理から理解している者が少ないことが、情報教育はもちろん、全教科を通じての情報技術の教育への活用や、校内ネットワークの運用管理などを不十分なものとし、学校全体の情報化の推進を妨げている。

 今日のわが国の情報教育は、情報技術の原理的な理解をある程度含むものとなっているが、教育の現場では、各種の技術を使いこなすことができればよいと考えられているのが実情である。しかし、このような情報教育のあり方では、上述のような問題は解決されないことを指摘したい。

3. 問題点2:高度ICT人材の不足

 日本経済団体連合会(経団連)の提言などにも見られるように、今日のわが国におけるICT人材は、深刻な不足状態にあると言える。このような 現状を招いた要因について、我々は次のように考えている。[注B1]

 過去においても、わが国ではICT人材の系統的な育成が十分なされて来なかった。しかし、ソフトウェアの開発を必要とする企業は、必ずしも情報技術を専門としない大学卒業生まで含めれば、優秀な人材を採用することができ、それらの人材を社内で育成することを通じて、ICT人材 の需要をまかなうことができた。

 一般に、技能を身に付けるにはその時期が遅くなり過ぎない方がよいことが多いが、ソフトウェア構築の技能を初めて学ぶのが大学卒業後の社内教育というのは明らかに遅すぎ、そのような条件で十分な技能が身につけられるのはごく限られた優秀な人材のみである。[注B2]

 しかし今日では、ICT社会の発展とともに、ICT人材に対する需要が極めて大きくなっている。このため、従来のように優秀な大学卒業生のみを集めて社内教育を行うことは困難となった。その結果、必要人数を採用して社内教育を行っても、十分なソフトウェア開発技能を身につけさせることができない。結果として、不十分な技能を持った人材が開発に従事することとなり、ソフトウェア開発の効率も、開発されるソフトウェアの品質も、極めて低いものとなっている。

 これに起因して、中国、インド、韓国などアジア諸国にソフトウェア開発を外注することも進んでいるが、開発するソフトウェアの仕様の決定、外注先に対する分担の決定などの業務もソフトウェア開発同様の技能が必要であり、それがきちんと行えなければ問題の解決にならない。また、経団連の提言にもあるように、わが国が自前のソフトウェア開発を行えないこと自体が大きな問題であるとも言える。

 これらの問題を解決するには、大学における系統的かつ効果的なICT人材の育成が必要となる。しかし、わが国の情報関連学科はその収容定員が米国に比べて10分の1程度と少ない状況である。さらに、これらの学科の卒業生であれば十分な技能を持つICT人材であると言い切れない状況がある。

 これは、情報関連学科の教育体制の問題もいくらかはあろうが、むしろ (1)情報関連学科への進学を希望する大学入学生の数が少ない、(2)ソフトウェア開発に関する理解なしに情報関連学科に進学するが、進学後に学習内容に対する適性がないことが分かる学生が多数存在する、という構造的な問題が大きい。たとえば、「コンピュータに興味があるから」という動機で情報関連学科に進学した学生に話をよく聞くと、具体的に は「Officeソフトウェアをうまく使えるようになりたい」という内容だったという例もある。このような状況は、ただでさえ収容定員の少ない情報関連学科の教育資源を空費させる上、勘違いして進学した学生本人に とっても不幸なことであり、ぜひとも解消しなければならない。[注B3]

4. 「情報処理教育」から新たな「情報教育」へ

 1980年代までのわが国においては、「情報処理教育」すなわち情報技術の専門家としてソフトウェア開発に携わる人向けの教育と、それをスケー ルダウンしたものを少量、非専門家向けに提供する教育だけが、大学に限定して存在していた。

 そのような状態では高度ICT社会に対応できないことが明らかであるため、1990年代に全国民を対象とする「情報教育」のあり方が検討された 結果、小学校から高校までのすべての児童・生徒を対象とする情報教育を含む現行学習指導要領が1998年から1999年にかけて告示され、2003年までに施行されている。[注B4]

 その内容や進め方についてはさまざまな意見もあったが、ほとんど何も無かった状態から始めて、ともかくすべての国民を対象とした「情報教育」が開始されたことについては、関係各位の努力に敬意を表したい。

 現行学習指導要領においては、将来のわが国を担う国民が持つべき「情報社会を生きる力」を育成する情報教育の目標として、次の3点が挙げ られている。

  • 情報活用の実践力
  • 情報の科学的理解
  • 情報社会に参画する態度

 我々もこの3目標の必要性については賛同するし、そこに含まれている複数のテーマ、具体的には「メディア」「表現」「コミュニケーション」「ネットワーク」「情報社会/倫理」などについては、今後とも情報教育の枠内に維持されることが望ましい。これらの、従来の「情報処理教育」に含まれなかった視点を広くカバーしたことは、わが国の情報教育の大きな特徴であり長所であると言える。[注B5]

 しかしその一方で、情報教育の内容として現行学習指導要領から改善すべき点もあると考える。具体的には、現行学習指導要領では「情報自体の理解」が重要とされ、コンピュータに代表される情報機器が「情報を扱う便利な道具」と位置付けられ、「科学的理解」の一端としてその仕 組みを学ぶのにとどまっている点である。

 これは、現在の「情報教育」がそれ以前の「情報処理教育」に対する反立として始まったことに由来すると思われるが、今日のICT社会の現状を見れば、一定の修正が必要だと考える。

 もちろん「情報」自体の理解が重要であることは間違いない。情報そのものは、それが「情報」であるという視点がなかったとしても、古くから存在し取り扱われてきており、多くの知見が得られている。現在の「情報教育」はこの観点から、情報自体の性質、その伝達手段(メディア)の特性、コミュニケーションなどの各種側面を取り上げる内容となっており、この点は我々も高く評価するところである。

 ただし、今日のICT社会が以前の社会と決定的に異なるのは、コンピュータによる自動化された情報の蓄積/加工/伝達が、あらゆる情報の短時間での高度な取り扱いを可能にし、その量的変化、および自動化による人間の介在不要という質的変化が社会に大きな変化をもたらしているとい う点である。

 このことを考えれば、「情報の理解」と同等ないしそれ以上に、コンピュータ等による「情報処理の理解」を促進することが、「情報社会を生きる力」につながるはずである。すなわち、この両者を含んだ全体が 「情報学の基本」であるというのが我々の理解である。実際、「情報処理の理解」なしには「実践力」「参画する態度」も不完全なものにとどまるという指摘が、前掲の「問題点1」にも含まれている。

 これは言い替えれば、「情報処理教育」への反立として始まった現在の 「情報教育」に、それが過度に除外してしまった「情報処理的視点」を 再統合することで、「情報学の基本」を適切に学べる新たな「情報教育」 を構築することの提案だと考える。

 ここで「情報処理の理解」について、より具体的に検討する。人間が生きて行く上で、さまざまな問題を発見し、解決していく必要があることは言うまでもない。この時、問題の定式化、データの収集、モデルの構築、解の探索、評価など、多様な形での情報の活用が必要になる。以前の社会においては、これらは基本的に手作業で行われてきたが、それぞれの段階においてどのように情報を扱い、活用していくかのノウハウは、人類の歴史を通じて蓄積され、それなりに有効に働いて来た。

 今日ではICT化にともない、既存の手作業の多くはコンピュータを用いた自動化ツールにより置き換え可能となり、作業効率は画期的に向上した。また以前であれば、方法は分かっていたがあまりに時間が掛かって不可能だったような解決方法も、実現可能となった。ただし、既存の解法のコンピュータ化が一段落した後は、コンピュータがあって初めて存在可能な、新たな「方法」の創出が必要だが、それは簡単なことではな い。

 また一方で、従来であれば適用方法について十分理解した人だけが利用できた解法を、その詳細は理解せずツールの操作ができるだけの人でも利用可能になった結果、解法をその適用範囲外にまで不適切に使用して 無意味な結果を得たり、そのような結果を「コンピュータが計算したものだから正しい」という盲目的な信頼にもとづいて実地適用したりするなどの問題も生じている。

 上記の問題を克服してわが国を次の段階に進めるためには、多くの国民による、実践力を伴う「情報処理の理解」が必要だと考える。その内容をより正確に表現すると次のようになる:

 コンピュータの本質は「手順的な自動処理」であることを、体感的かつ具体的に理解している

 「手順的な自動処理」については次節で詳しく述べる。その一部分については、コンピュータの原理として一般に教育されているが、それは知識的なものとしてであり、それだけでコンピュータに何ができて何ができないかといったことがらを判断できるようにはならない。

 我々の主張は、そのような知識的な理解にとどまるのでなく、実際に自ら「手順的な自動処理」に接して体験し、その特性を身体的に納得することが重要だということである。このような体験的理解をもった人であれば、学んだことがなく全く新たに遭遇するような場面においても、体験的理解を土台として「コンピュータはこのように動作するだろう」「したがってこういうことはできるが、こういうことはできないだろう」 という判断をある程度的確に行えるはずである。これが「体感的かつ具体的」の意味するところである。

 上記の意味での体感的・具体的であり実践力を伴う「情報処理の理解」 があってはじめて、自動化ツールを使う人はその中で「何が起きている か」を、解法の詳細までは熟知しないとしても感覚的に納得し、またそ こに一定の制約があり、それを外れたことをすれば出て来る結果が無意 味であることも理解できるはずである。また、コンピュータなしには不可能な新たな解法を創出する人には、より深い「情報処理の理解」が要 求されることは言うまでもない。

5. 「手順的な自動処理」の構築について

 前記のように、本提言では「手順的な自動処理」ないし、さらに正確に言えば、その「構築」が重要な位置づけを持つので、ここでその定義を 掲げる:

[定義] 「手順的な自動処理」の構築とは、次の一連の活動を言う。

  • (1)問題を同定および記述した上で、その定式化をおこない、解決方法を考える。[注A1]
  • (2)解決方法を、アルゴリズムとして組み上げ、自動処理可能な一定形式で記述した、コンピュータ上で実行可能なものとして実現する。
  • (3)実現したものが問題解決として適切であるかを検証し、必要なら問題の定式化まで戻ってやり直す。
    ここで、記述する方式としては直ちにプログラミング言語が想起される かも知れないが、上記の定義はそれに限定されないことを注意しておき たい。たとえば、表計算のワークシート上において自動処理を記述することも、上記の定義にあてはまる。

 さらに、(2)の記述する活動だけでなく、その前後の(1)の解法の定式化 と(3)の検証と反復とまで含んだ全体の活動を、「手順的な自動処理」の構築として捉えることが重要である。

 「手順的な自動処理」の構築は、初中等教育における情報教育の実践手段としても有効であると考える。その理由を以下に掲げる[注B6]:

  • 問題の定式化や解決方法などの思考を必須とする。今日の教育におい て、学習が記憶中心となり、必ずしも考える力を養っていないという\問題はしばしば指摘される。「手順的な自動処理」の構築を題材とすることで、考えることを自然な形で学習活動に採り入れることができる。
  • 曖昧さのない処理内容/手順の記述を必須とする。これらの特性を前提とした記述を自ら行うことは、今日のICT技術の中核であるコンピュータの特性を体感的に理解するための最善の題材である。
  • 思考内容の外部化/客観化が行える。今日の生徒に多く見られる問題として、自分が望ましいと感じることと、実際に自分が作成したものとの差異を客観的に判断できないという点がある。「手順的な自動処理」の構築では、コンピュータによる機械的な実行により、自分が記述したものの論理的帰結が明確に示され、両者の差異を明確に確認することができる。
  • 多様な表現手段としての側面を持つ。「手順的な自動処理」の構築により実現されたものは、コンピュータ上で動作し、さらに画像、アニメーション、サウンドなどの出力を伴わせることもできる。これにより、問題解決を単なる「理解のための体験」にとどまらせず、生徒に よる自己表現の手段として位置付けることができ、学習意欲を引き出 すことができる。

 なお、ここで言っている「問題」とは、「ある文字列を指定回数表示する」「三角形を描く」など、生徒の状況に応じて、ごく簡単なものであっても構わない。[注B7]

「手順的な自動処理」の構築の題材を小・中学校段階から採り入れることについては、今日では多くの研究が行われており、有効な実践例も複数示されている。たとえば適切な題材として、カーレースのシミュレーション、タートルグラフィクスによる描画、音楽の自動演奏などが挙げられる。これらは次の性質を持つことから、教室における教育に適して いる。[注B8]

  •  画面に対象物が現われたり、メロディが聴こえたりすることにより、 自分の記述した内容を体感的かつ試行錯誤的に検証できる。
  • 感性の表現が容易であり、作品を相互に鑑賞できる。

この方面については、今後の研究により、さらに多くの題材が蓄積され て行くことが期待される。

6. わが国の情報教育が達成すべき目標

 ここまでで述べて来たように、わが国が世界にまたがる高度ICT社会化の波に立ち後れず発展して行くためには、過去の「情報処理教育」と現行の「情報教育」を統合し、「情報学の基本」を学習する新たな「情報教育」を定義し、それを実践することで国民全体のICT水準を底上げする必要がある。

 この観点から見た目標、すなわちわが国の情報教育が全体として達成すべき目標のうち、現在不足していると考える情報処理的視点をカバーする目標として、次のことを掲げる:

(a)すべての国民が「情報処理の仕組み」を、体験を通じて理解し、それに基づいてICTを有効に活用できる能力を備えるようにする。
(b)初中等教育段階で「情報処理の仕組み」に関心を持ったすべての生徒に、情報処理の原理と応用について系統的に学べる場を提供する。
(c)高等教育に進みわが国の将来を担う人材のすべてが、自らの専門に加えてICTの基礎的な知識と原理理解を持つようにする。
(d)高等教育において情報系以外の専門を選択した学生に対しても、適性に応じてICTに関する系統的な学習が行える選択肢を提供する。
(e)高等教育において情報系の専門を選択した学生に対し、高い水準のICT教育を行い、情報システム分野、およびその他一般の分野の双方 に対して、高度ICT人材を供給する。
(f)既に社会で活躍している人材に対しても、リカレント教育の一環として、本人の適性に応じて高い水準のICT教育を受けられる選択肢を 提供する。
(g)上記(a)〜(f)、とくに初中等教育段階での教育を効果的に実施できる人数と水準の教員が継続的に養成できる体制を確立する。
また、これらの目標が全体として達成するべき国民全体のICT人材構成を、我々は次のように考える:

100% - (a)の水準。「情報処理の仕組み」の体験と基盤的ICT能力。
50% - (c)の水準。「情報処理の仕組み」の実践に基づく理解。
20% - (b)の水準。「手順的な自動処理」の構築経験を持つ。
10% - (d)または(f)の水準。情報技術に接する実務に就くICT能力。
5% - (e)の水準。高度ICT教育を修了。各分野における高度ICT人材。
2-3% - (e)の水準+α(大学院教育等)。情報システム分野の高度ICT人材。

 ただし、ここに示した分類はあくまでも国民全体をICTという1つの切り口から見たものであり、この情報処理的視点に加えて「情報」自体に関する理解や洞察も、別の次元の内容としてすべての国民に獲得されるべきものであることを付言しておく。

次節に述べる提言は、上記の人材構成を実現するための行動内容を具体 化したものである。

7. 提言

 前節までで、わが国が最先端のICT国家として発展する上で必要な人材育成の妨げとなっていると我々が考える、現在の情報教育・情報処理教育に内在する問題について分析し、またそれらを解消するための方向づけと目標について検討してきた。本節では、これらの問題分析と方向づけに基づいて、(A)初中等教育等(小/中/高等学校教育に高等教育への 接続を加えた部分)、および(B)高等教育(大学等)における、情報教育・ 情報処理教育の改善のための提言を示す。

 なお、これらの提言の内容は、できるだけ具体的であり、なおかつ実施状況が客観的に判断できるものであるように心がけた。また、これらの中には、一部の学校/大学等において既に実施されているものも含まれているが、前節までで繰り返し述べたように、我々の目標はわが国全体としての情報教育・情報処理教育水準の向上であり、従ってこれらの提言は、すべての学校/大学等において例外なく実施されるべきものと考 えている。

A. 初中等教育段階および高等教育への接続

  • (1)小学校・中学校・高等学校それぞれの発達段階に応じて適切な「手順的な自動処理」の体験を持たせる。
  • (2)高等学校の教科「情報」に選択科目を追加することで、「手順的な自動処理」に関心を持った生徒が系統的に学べる場を設ける。
  • (3)「情報」を学び、得意とする生徒が多様な分野へ進学できるように、 大学の入試に「情報」に関する内容を追加する。

 (1)については、本提言で繰り返し述べている、国民全体にわたっての情報処理の原理理解を含む「情報学の基本」の理解を土台として構築するために必要である。ここで言う体験とは、「手順的な自動処理」を自ら扱ってみて、そのようすを観察することを想定している。すなわち、理科の実験などのようにあくまでも体験を重視し、自力で複雑なものを作ることは求めない。体験する内容の水準については、小/中/高等学校ごとの発達段階に合わせて適切なものを選ぶようにするべきである。

 実施方法については、小学校においては「総合的な学習の時間」、中学校においては技術・家庭科の「情報とコンピュータ」分野、高等学校においては教科「情報」における実施が中心になると思われるが、それだけにとどまらず、すべての教科におけるICT利用においても、機会をとらえて「手順的な自動処理」との結び付きを意識することが必要である。

 発達段階については、小学校ではじめてコンピュータに触れる時点で、ブラックボックスとして扱うのでなく、中に一定のメカニズムが内蔵されているという意識を持たせたい。中学校では、数学の素養のある生徒が初等幾何に触れて熱中する学齢でもあるので、この段階で適切な経験を持たせ、関心の芽を育てることが重要である。高等学校では、論理的な力が発達する時期であるので、抽象化の考え方に触れさせたい。

 現行学習指導要領でもこの内容の実施は可能であるが、その採否は教師の判断にゆだねられており、実際に実施されている例は少ない。このため、学習指導要領として「手順的な自動処理」の体験を必須内容として盛り込むべきと考える。

 高校の普通教科「情報」では、情報A/B/Cの3科目選択必修が有効に機能せず、単に学校側がやりやすい科目を選んでいるのが実態である。我々としては、このうち情報Aの内容は小中学校段階でカバーされるようになり、残る情報B/Cの内容を1科目として統合した上で、必修とし、上記を盛り込むのがよいと考える。[注B9]

 (2)については、(1)の結果「手順的な自動処理」に接し、その面白さを感じた生徒がより深く系統的に学べる場を保証する上で必要である。ただし、その題材としてはいわゆるソフトウェア開発に限定せず、「手順的な自動処理」をメディアとして、自分の考えたアイデアに基づくさま ざまな作品を構成するようなものまで含めて考えるべきである。これにより、情報処理の原理を体得した人材が各専門分野に広く存在する社会をめざす。

 実施方法については、上記の内容を中心とする選択科目を1科目以上、高校の普通教科「情報」に追加することを、学習指導要領に盛り込むべきであると考える。

 (3)については、(1)や(2)を通じて情報分野を得意とするようになった生徒に、多様な分野において高等教育を受ける機会を提供し、各分野におけるICT人材として活躍できるよう育成するという目的のために必要 である。

 また、次項で詳しく述べるように、大学側においても「情報学の基本」を身に付けた学生を入学させ、その土台を前提とした有効な情報教育を行う上で必要という側面がある。

 実際には上記2点は表裏の関係にあると言える。すなわち、本来初中等教育と高等教育は適切に接続され、連携関係を持って人材育成の任に当たるべきであるが、わが国の現状では情報教育についてはこの連携が無に等しい。この現状を打破し、有効なICT人材育成に資するためには、(3)がぜひとも必要だと考える。

B. 高等教育段階

  • (4)大学の一般情報教育において、「手順的な自動処理」についての制作体験をさせる。また各専門において、その専門に関連した情報系科目を選択可能とする(教員養成系においては必修とする)。
  • (5)大学の情報関連学科において、「手順的な自動処理」の構築に対する適性を持つ学生を対象とし、将来高度ICT人材として活躍できる水準の教育を行う。
  • (6)大学・大学院の情報分野を含む各専攻において、「手順的な自動処理」の構築に対する適性を持つ社会人を学生として受け入れ、各分野におけるICT人材として活躍できる水準の教育を行う。これには(1)〜(5)の教育を行うことができる教員の養成および研修を含む。

 (4)については、すべての学生に高等教育の水準にふさわしい情報・情報処理の理解を持たせ、わが国全体としてのICTに対する理解水準を底上げすること、および、その中でもICTに関する適性と関心を持つ学生に対してはその適性を伸ばし、各分野におけるICT人材となれるように育成するために必要である。

 特に後者については、今日のわが国の情報システム開発において、個別専門分野と情報技術の両方に精通した人材の不足が、適切なシステム開発の妨げとなり、多大な損失を招いていることに留意する必要がある(問題点1に含まれる)。これを改善するためには、(4)がぜひとも必要である。また、将来の情報教育を担う教員についても、この水準での教育を経ることで、十分な情報教育が行えるようにすることをめざす。

 教員養成系の専門教育については、これまでは情報系の内容が必ずしも必須ではなかった。しかし、本提言がめざす小学校段階からの系統的な情報教育のためには、すべての教員が情報系の内容についても一定水準の内容を修得する必要があると考える。

 (5)については、具体的には入学時点ないし専門学科進学時点において、「手順的な自動処理」の構築に関する基礎ができていることを確認し、その水準を出発点とした教育を行うべきである。その背景には、適性のある学生を対象とした効果的な教育という目的もあるが(問題点2に含まれる)、過去十数年間におけるICT分野の高度化には著しいものがあり、一定の水準を出発点としなければ現在の社会が必要とする高度ICT人材を育成することが難しくなっているという点も挙げられる。

 (6)については、短期的には、本提言がめざすICT社会に移行する上で、単に教育課程の改善成果を待つのではあまりにも時間がかかりすぎ、その間にわが国が世界全体のICT化の中で取り残されてしまうおそれがあるため、既に社会に出ている人材のリカレント教育としてICT人材を育成することで早期にICT人材需要に応えることが目的である。

 教員の養成/研修については、問題点1に挙げた、情報技術を理解した教員の不足を速やかに解消し、本提言全体の実行を可能とする上で、リカレント教育が有効に実行されるべきだと考える。

 長期的には、一度社会に出た後も必要に応じて新たな技能や知識を身につけるため高等教育機関を活用することは、世の中の必然的な流れであり、その選択肢の一つとしてICT人材の育成も位置付けられるべきだと考えている。たとえばMOT(Management Of Technology --- 技術マネジ メント)大学院も「情報分野を含む専攻」の中に位置付けることができるし、今後さらに多様な「情報分野を含む専攻」の出現が期待される。

8. おわりに

 本提言の内容は、小学校段階からの教育内容改善を含むものであり、長期的な取り組みが必要である。さらに、小・中・高等学校および大学において本提言にあるような教育が行える教員の充実も時間のかかる課題である。しかし、わが国が世界にまたがるICT革命の中で生き残っていくためには、最終的には本提言のような形でわが国の情報教育全体が底上げされる以外に道はないものと考える。その実現に向けて、情報処理学会情報処理教育委員会としても教育・産業界と連携して取り組んで行きたい。

参考文献

付録1 Q&A

  • Q.「情報」自体に対する教育は極めて重要ではないでしょうか。それを差し置いて情報処理の教育をしろという主張に見えます。
  • A.いいえ、そうではありません。現在の「情報教育」は、特に高校の普通教科「情報」を中心として、情報自体の特性、伝達手段(メディア)の特性、情報に対する批判的視点の必要性、コミュニケーションの特性と留意点、倫理的問題など、多くの重要な内容を含んでいます。我々もそれは維持されるべきと考えています。ただ、その部分の充実に対比して、情報処理的視点が過小となっていることの問題点を指摘し、その部分の改善を提言するのが目的です。
  • Q.「情報」教育が重要で、そこに多くの内容が含まれているのであれば、情報処理の部分を扱うのは時間的に無理があるのではないですか?
  • A.時間的な制約は確かにありますが、教育現場ではソフトウェアの操作等に多く時間を割いているのが実情です。我々は、その部分をもっと情報処理の原理的な部分の教育に振り向けることが全体として得策だと考えています。[注B10]
  • Q.現在の情報教育にも、情報処理的な部分は含まれていると思いますが。
  • A.確かに、「実践力」として実際に情報を扱わせる内容はありますが、現状では情報処理の原理よりも使い方を優先的に教えていると言えます。これは極端な言い方をすれば、算数/数学で「数の計算方法の原理は習得させず、電卓の操作を教える」ことに相当します。これに対し、情報処理の原理もきちんと学んで欲しい、というのが我々の主張です。
  • Q.ソフトウェアの操作方法は教えるべきでないということでしょうか?
  • A.いいえ、「情報活用の実践力」のためには、ソフトウェアを操作してさまざまな活動を体験することも必要です。ただ、多くのソフトウェアについて細かく教えることは不要であり、その時間の一部を情報処理の原理を学んでもらう方に振り向けた方が、総合的に良い結果を産む、というのが我々の主張です。
  • Q.「情報処理の原理」を学ばせるのは多大な時間数と労力を必要とし、多くの生徒に理解できないものになるという問題があるのでは?
  • A.従来のソフトウェア開発の学習イメージだとそのような危惧があるかも知れませんが、我々が主張しているのは、「コンピュータによる自動的な処理」に接してみて、成功体験を持たせるということです。「体験」という意味は、理科の実験のように、自分で操作してみて結果を観察するようなものを考えています。
  • Q.早い段階で難しいものを教えるのは「コンピュータぎらい」を作り出すだけではないのですか?
  • A.「難しいもの」ではなく、コンピュータの原理が分かるようなものを「体験してどんなものか理解させる」ことを目指しています。現状ではそれがないために、せっかく適性がありながらそのことが分からず情報系への進学を考慮しなかったり、逆にイメージだけで情報系へ進学していざ学習が始まってから「コンピュータぎらい」になったりするということが起きています。
  • Q.すべての国民がコンピュータでプログラムを作れる必要はないと思うのですが?
  • A.はい、その通りです。ただ、プログラムとは限りませんが、「コンピュータによる自動的な処理」に接した体験は必ず持つべきであり、現在はそのような体験がないため、コンピュータが「魔法の箱」に見えてしまう人が多数いるというのが我々の主張です。
  • Q.大学ですべての入学生に対し、ソフトウェアの開発や作品制作の体験を求めるというのは、極端なのではないですか?
  • A.UNESCOの勧告では、これより高度な内容を「大学に進学するすべての高校生が高校において」学ぶべきであるとしています。一方でわが国の現在の大学の一般情報教育では、ソフトウェアの操作方法など、本来なら中学までで済んでいるようなことを教えています。それに代わる、高等教育の水準にふさわしいものとして、上記を提案するものです。もちろん、どのくらいの水準のものを求めるかという点は、それぞれの大学の状況に応じて決めて行く必要があります。
  • Q.高度ICT人材の育成は、大学で優秀な学生を対象に行えばよいのではないですか?
  • A.従来がそのような考えでしたが、うまく行っていません。しかも高度ICT人材の需要は非常に大きく、かなりの人数の育成が必要です。人にはさまざまな適性がありますから、他の方面には適性がなくても情報処理に適性を持つ人もいます。そのような人に小学校〜高等学校段階できっかけを与えることは重要だと考えています。海外では小学校で「手順的な自動処理」の構築を学んだ生徒が、成長してICTの世界で能力を発揮している、という報告もあります。
  • Q.今日では基本的なソフトウェアの制作体験などより、情報システムを全体として捉えて設計し、動かすという視点の方がより重要なのではないですか?
  • A.ICT人材、高度ICT人材(本提言では国民の10〜20%の比率となることを想定しています)については、最終的にはその通りだと考えます。しかし、その段階に到達する経路として「手順的な自動処理」の構築など基盤的な部分を経ないのが良いとは思えません。原理を知らないでもシステムを抽象的な対象として的確に直接把握できるようになる優秀な人材は極めて限られていますから、基本的にはやはり国民全体として土台からの積み上げを求め、その中からICT人材、高度ICT人材を育成していくというアプローチが望ましいと考えます。もちろん、優秀な人材を集めて教育するなど特別な場面ではこれに限定される必要はありません。
  • Q.近年のコンピュータサイエンスの進歩はインタラクション(対話的処理)の発展に支えられていると思います。旧来の「手順」を土台にするのは間違っているのではないですか?
  • A.我々の考える「手順的な自動処理」の構築とは、アルゴリズムなど非対話的なものを学ぶという意味では全くありません。逆に、題材として対話的グラフィクス、アニメーション、音楽などインタラクションのあるものを活用するのがよいと考えていますし、今日ではそのような題材を扱うことが多く研究されています。そのようなものに接し体験することを通じて、対話的処理まで含めたコンピュータのメカニズムについて理解させられると考えています。
  • Q.「手順的な自動処理」の構築とは、要するにプログラミング言語を教えるという意味ではないのですか?
  • A.いいえ、そうではなく、コンピュータによる自動処理のメカニズムに接することと、「同定・記述/設計→制作→検証/再試行」[注A1]というサイクルを実地に経験してもらうことが目的であり、本文にもあるように、表計算のワークシートを活用するなどの方法も考えられます。プログラム言語を用いるとしても、言語の学習が目的ではなく、上記の活動に必要な範囲だけを用いるべきでしょう。この方面は活発な研究が行われていて、今後新たに適切な題材が増えると思われるので、「手順的な自動処理」という一般的な呼称を用いています。
  • Q.タートルグラフィクスをやるということは、やはりプログラミング言語を教えるのではないですか?
  • A.何をプログラミング言語であると考えるかによります。タートルグラフィクスの範囲だけであれば、進む、曲がる、繰り返しなど少数の「決まった書き方」だけ学べば、それに基づいて「手順的な自動処理」の構築が行えます。この「決まった書き方」を学ぶことは、表計算のワークシートなど、他の題材でも同様に必要だと考えます。
  • Q.音楽演奏は「手順的な自動処理」の構築なのでしょうか?
  • A.音楽には、規則的な旋律の反復、リズム・音階とその変形、和音などの規則性が多く含まれており、「手順的な自動処理」の構築に適した題材だと考えられます。感性を表現でき、生徒どうしで作品を鑑賞できるという好ましい性質も備えています。具体的な進め方としては、音楽ソフトウェアを使用する方法も、プログラミング言語ないしそれに準ずる「決まった書き方」による方法も、あってよいと思われます。
  • Q.情報系教員の養成については具体的な「提言」がないようですが、他の提言項目ほどの重要性がないということでしょうか?
  • A.いいえ、我々としては情報系教員をどのように体系的に養成していくかは他の項目と同等かそれ以上に重要な問題だと考えています。しかし、現時点では教員養成のカリキュラムや教育内容について具体的な方法論を提案できるほど検討が進んでいないため、本提言では事項の重要性について指摘するにとどめています。

付録2改訂/追補1(2006.11.25)

 本提言の第1版(2005.10.29公開)に関して、2005.12.10〜2006.3.31の期間にパブリックコメントを募集したところ、9件のコメントを頂いた。多くの方に関心をお持ち頂き、また貴重な御意見を頂けたことをここに感謝する。コメントの内容とその検討については、別途公表予定の文書「『日本の情報教育・情報処理教育に関する提言2005』のパブリックコメント対応について」を参照されたい。

 これらのコメント、および我々の内部でのさらなる検討に基づいて、本提言の改訂/追補を行った。文書としての連続性を保つため、改訂(本文そのものの変更)は最小限にとどめ、残りは該当箇所に注を挿入する追補にとどめた。また、改訂箇所にも改訂内容を説明する注をつけた。これらの注を以下に示す。

(改訂部分)

[注A1]この部分は、第1版では次のようになっていた:

(1)問題を自らの判断に基づき定式化し、その解決方法を考える。

 この表現について再度検討した結果、「判断」の具体的内容、すなわち(a)問題を同定すること、次に(b)その問題を記述すること、の2つを明記することが望ましいと考え、表現を現在の形に差し替えた:

(1)問題を同定および記述した上で、その定式化をおこない、解決方法を考える。

 Q&A中でもこれに対応する「判断」1箇所を「同定・記述」に差し替えた。この「同定・記述」作業は情報技術者が「分析」と呼ぶものに対応するが、一般には「分析」という用語はさまざまな意味で使われるため、誤解を避ける意図で上記のようにした。
  この「同定・記述」は問題解決の出発点であることから極めて重要であるが、現行の「情報」指導要領で重視されている「問題解決」に含まれており、現行教科書の多くが(呼び方は違うが)この「問題解決」に多くの紙面を割いている。このことは高く評価したい。ただし、「同定・記述」については必ずしも明確に記述されていないものが多く、この点については改良が望まれる。
  さらに、同定・記述したものの適否は、人間が見ただけでは分からないことが多い。「手順的な自動処理」の構築の一環として同定・記述を行うことで、それに基づいた自動処理の動作を通じて、同定・記述内容の帰結が明示され、間違いがあれば明らかになる。このため、現行のように問題解決全般の一部として同定・記述を学ぶことに加えて、「手順的な自動処理」の構築の一環としても同定・記述を実体験することが重要だと考える。
 なお、「記述」についてはそれが必要とする正確な日本語表現の作成能力とも関わっており、国語科との連携が望まれる部分であることを付言しておく。

(追補部分)

  • [注B1]ここで挙げているものだけがわが国の情報処理業界の問題だと主張するわけではない。本提言はあくまでも情報教育を対象とするものであり、そのため、情報教育に関係する問題を列挙していることに注意されたい。
  • [注B2]各企業が必ずしも情報技術を専門としない大学卒業生を採用してきたことの問題点として、各企業において当面実践的に必要とする知識・技能のみが教えられ、「情報の基本的・科学的原理」の教育まではなかなか手が回らなかった、ということも挙げられる。この結果、「基本原理」を理解しない技術者が大量に育成され、専門技術者の水準低下につながって来た可能性がある。
  • [注B3]これに関連して、現在の日本の社会において、情報技術者が「単なる下請け」と考えられ、尊敬もされず報酬も良くないという点も指摘しておく。この問題は2006.3.6に公開した「2005年後半から2006年初頭にかけての事件と情報教育の関連に関するコメント」にも含まれている。この現状を正すには、情報技術者でない国民が「情報技術者がやっていることはどういうことか」を理解するようになることが必須であり、そのためにも本提言の実現が必要だと考える。
  • [注B4]一般には「情報」という言葉には、単なる「ものごとの知らせ」(データ)という意味と、人間にとって価値のあるデータ、という意味の2つがある。本提言では「情報」を後者の意味(人間の評価を加えたものという意味)で使用している。情報技術もハードウェアの原理などのレベルではデータを扱っているに過ぎないが、「手順的な自動処理」の構築のレベルでは(問題の同定・記述からはじめる以上)「情報」を扱うものと考える。
     より高いレベルについては、現行の「情報」指導要領には「問題解決」が含まれており、これをきちんと教育すること、すなわち現行の「情報教育」部分の確実な実施が重要なのは言うまでもない。ただし、それをより効果的に実施するために、「手順的な自動処理」の構築も必要だと考える(この点については前記の改訂部分および[注A1]で触れている)。
  • [注B5]だたし、わが国では伝統的に「形のないもの」(情報、知識、知恵)の価値を正当に評価してこなかった(そのことが過去においても多くの問題を引き起こして来た)、という側面もあり、それを正すためには一層の情報教育の推進が必要である。その面でも、「手順的な自動処理」の構築体験を取り入れることは、少量の情報が大きな効果をもたらすという実感を持たせるという点で有効と考える。
  • [注B6]これに加えて、できあいのソフトウェアでは「所与」のものであり変更できないやりとりの方法(ユーザインタフェース)についても、実際には人間が設計したものであり、必要なら手直しすべきものだということの理解も重要である。そのこともまた「手順的な自動処理」の構築を通じて体得できるものと考える。ただしその場合は「ユーザの入力と応答」を含むような題材を選ぶ必要はあると考える。
  • [注B7]我々の考えは、たとえば小学校(4学年〜6学年)、中学校、高校のそれぞれについて、5時間程度の「体験」を持つことである。その内容としては、「理科の実験」のように、誰でもうまく何らかの体験ができ、挫折によりコンピュータ嫌いを誘発するようなおそれのないものを想定している。
  • [注B8]感性の表現という面に加えて、「手順的な自動処理」の構築には、「ものつくり」すなわち自らが計画したものを組み立てて動かすというプロセスを体験し、その楽しさを味わうという側面もある。現在、「ものつくり」体験の重要性は多く言われているところであるが、その手段の1つとしても「手順的な自動処理」の構築が有効だと考える。
  • [注B9]原理上は、共通の土台部分がすべての科目に含まれる形で、現在の選択必修制を維持することも可能かも知れない。しかし、現在の選択必修制がうまく機能していない状況を見ると、当面は1科目に統合した上で共通の土台を確立することに注力するのがよいと考える。
  • [注B10]これに関連して、我々が他の教科の時間を削ることは主張していない点もご理解頂きたい。あくまでも小学校・中学校・高等学校において、現行の情報教育に割り当てられている時間配分を見直して「手順的な自動処理」の構築の内容を入れて欲しい、というのが我々の主張である。